有限宇宙の妄想」と同ヒロイン



「田噛は本当、『この世』のことに詳しいね」

 俺が声をかけると、田噛が雑誌から顔を上げた。「……佐疫」お前か、みたいな声のトーンで名前を呼んで、また視線が手元に落ちる。今見てるその雑誌だって、先日『この世』で買ってきたばかりの情報誌だった。現世の流行なんてころころ変わる。食べ物、言葉、服装。この間流行ってると聞いた気がしたものが、彼らの中ではとっくの昔に廃れている。普段別の場所に生活している俺たちが、「この世」のそれを敏感に把握することなんて難しいはずなのに、田噛はやけに詳しい。

「この間食べてたお菓子も、向こうで期間限定で売ってるものだったんでしょ? あれすごくおいしかったね」
「あー……あれな。微妙だった」
「えっ、そう? おいしかったけど」
「ふーん」

 興味なさげな声に、俺は首を傾げる。確かに心底気に入ったものなら俺や他の獄卒に食べさせずにいただろうから、あまり田噛の好みの味ではなかったのかもしれない。けど、田嚙が食べたくて、気になって、買ったんだろうに。期待はずれな味にがっかりしただとか、そういう問題じゃなくさっきの声は、「興味がない」といった声だった。最初から、味なんか問題じゃなかったみたいに。手に入れることだけが目的だったみたいに。
 首を傾げている俺にかまわず、田噛は手元の雑誌をぱらぱらと適当にめくりながら、「べつに、詳しいわけじゃない」と一言つぶやいた。

「そうかな。俺たちの中ではすごく物知りだと思うけど……」
「……いくら知った気になろうが、どこかしらでボロは出るからな」

 そんなこと言われるとは思ってなかった。どこか弱気というか、諦めたような物言いで。田噛はすごいね、と単純に感心して声をかけたつもりだったのに、俺は田噛がどうして現世のことについて「詳しくなろうとするのか」が気になってしまう。

「……ぼろを出したくない相手がいるの?」

 俺が尋ねると、田噛は読んでいた雑誌を閉じて、そこらへんに放り投げた。表紙を飾っていたのは、若い男性。人間の、男。人間から見れば、俺たちもきっと「同じくらいの年齢」に見えるのだろう。見た目だけならそう変わらない。「俺たち」と、「生きてる人間」は。




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「タガミさん、スタバの新作飲みました? 私まだなんですよ~、もうみんなSNS載せてて! 絶対うまいじゃんかー!」
「飲んでない」
「まじですか! 寄ってきます? 飲んじゃいます? そしていい感じに写真撮ってSNSにあげちゃいます!?」
「勝手にやってろ。俺は飲むだけでいい」
「え~……ゆ、指だけでも写り込んでくれません!? タガミさん、写真嫌いだって言って全然撮らせてくれないし~……SNSもやってないっていうし……」

 唇を尖らせて俺の隣を歩く女を、横目で見る。よくしゃべる奴だった。よくはしゃぐし、よく笑う。話題が無くなって無言になったら死ぬのかっていうレベルで、ずっとべらべら喋り続けるし、話がころころ変わった。ほどよく話のネタになって次々投げるのに丁度いいのか、「流行ってるもの」の話題が自然と多くなる。その度俺は適当な知識だとか、人間でいう一般論だとか、そんなものを記憶から引っ張り出していた。

「……た、田上さんって、下の名前なんていうんですか? 名前で、呼びたいなー…なんて」

 生きてる人間相手に、我ながら馬鹿馬鹿しいことをしているとは思う。どんなに知識を得たところで、そんなものはどうにもならない。こいつの何気ないこういう一言で、もっと大きな「ボロ」に気付かされる。掛け違ったボタンか、嚙み合わない歯車か。些細なことのようで、根本的な、大きな「違い」だった。

「……あ?」
「え、や、やっぱりダメですか……そこまでの仲じゃない、です、かね……教えたくないですよね……」

 明らかに沈んだ声でそう言われ、小さく舌打ちが漏れる。めんどくせえな、面倒だ、本当に。――いや、お前がじゃない。そうじゃない。まためんどくせえ。俺の舌打ちを耳にしてビクビクしている相手を視界の端に入れた。

 そもそも人間でいう「本名」を知らないままに、こうやって男と会ってるお前はなんなんだ。こんな素性の知れない男と。普通、おかしいと思うだろ。普通、会わねーだろ。(普通、会いに来ねーだろ)(自分で自分の首を絞めた)

「……田噛、…」

 田噛。田噛だ。それ以外の名前なんか持ってない。お前が呼びたがるような名前なんか最初から俺は持ってない。だがそんなことを説明してやる気はないし、説明したところで何にもならないだろう。俺がそれ以上言葉を続けずに視線を逸らしていると、不意に、やけに神妙な声で奴が言った。

「…じゃあ、当てます」
「は?」
「田上さんの下の名前、あてます!」
「……」
「ん~……ハヤト! いやユウヤ! トシキ……カズキ……むむむ…」
「…………」
「な、なんかそれっぽいのありました?」
「お前、馬鹿だろ」
「そんなあ!」

 大袈裟に仰け反って、ショック受けたような顔。「やっぱ馬鹿だろ」と追い討ちをかけて、俺はさっさと歩き出した。相手は横に追いついてきてはしばらく何か騒いでいたが、目的の店が近付くと目当てのフラペチーノの話しかしなくなる。

――ぼろを出したくない相手がいるの?

 佐疫の言葉を思い出す。そんな相手はいない。こいつはきっと俺がいくらボロを出そうが、それをボロだとは気付かないだろう。馬鹿だ。救いようなく。それに救われるのだから大概俺も馬鹿だった。

「新作、おいしいかな~! たがみさんと一緒に飲むならなんだっておいしいと思いますけどねっ! えへっえへ」
「じゃあ不味かったら俺の分も飲め」
「えぇ!?」

 ただまあ、知らなかった「この世」の知識がこいつのせいで増えていくことも、「この世」で初めて経験する全てのことにこいつがおまけでついてくることも、悪い気はしなかった。馬鹿馬鹿しくて面倒なくせに、退屈はしなかった。甘すぎるフラペチーノも見たことないデザートも、悪くなかった。こいつの隣は、悪くない。//ifの群れが包囲する