【★このお話のつづき】




 たとえば、おれに抱きかかえられながら、最初は肩を縮こませるだけだったのに、気付いたら、おれのシャツを小さく掴んでいるところだとか。たとえば、腕の中で、こちらの心臓の音に耳を澄ませるように、おれの胸へ頭をこてんと預けているのだとか。そういうところが、おれにとってはたまらなく可愛くって、喜ばせているっていう自覚が彼女にはないんだろうか。
 部屋に着いて、ベッドの上にそっと腰をおろす。自分がまだおれのシャツを掴んでいたことにはっと気付いて、慌てて手を離す彼女がいとしい。ほらやっぱり、またおれを喜ばせる。

「ちがうわ!抱っこされながら階段上ってるとき、落とされやしないかってひやひやして、だから掴んでただけ!」
「ああ、ごめんよ。怖かった?」
「…そ…そんなに、怖かったわけじゃないけど…」
「はは、大丈夫。おれがを落とすわけないからね」

 落とすどころか、逃げられてしまわないようにしっかり肩を抱いていたつもり。おれの言葉にが、うっ、て表情で頬を赤らめる。なんにも恥ずかしいことを言ったつもりはなかったけど、「ばか」ってちいさく言われたから、多分、彼女にとっては恥ずかしい台詞に聞こえたんだろう。それでも、おれの膝に乗せられたまま、離れていこうとはしない。だから、ああ今この時間は、甘えてくれる時間なんだな、と分かる。お酒が入って?夜っていう雰囲気にのまれて?――もちろん、それも理由にあったとしても。一番の理由は、ふたりきりの時間で、おれだけじゃなくも、二人でくっついていたいって思ってくれているからだ。


「……なに」
「…?」
「な、なんだってばぁ…」

 さっき一度離した手で、またおれのシャツをきゅっと掴んだ。名前を呼ぶだけで、みるみる追いつめられるみたいに彼女の顔が赤くなる。「呼んだだけだよ」と笑うおれに、笑わないでよ、って普段なら吊り上げていそうな眉を、今はおろおろするように頼りなく下げている。それがまた可愛くって、の頭に腕を回して、よしよしと撫でた。うう、と小さく呻きながらもそれを受け入れて、大人しくなっている。

「いつも任務お疲れ様、。最近、無理してないかい?」
「…してない。これくらい全然へっちゃらだもの」
「はは、えらいなあ、は。頑張り屋さんだ」
「べつに……普通でしょ…」
「疲れてない?」
「平気だってば…」
「おれに、何かしてほしいことは?」

 顔を覗き込んで、つとめて優しく、彼女が甘えやすいように尋ねる。平気だから、頑張れるから、って誰にも頼らず強く在ろうとするところももちろんのいいところで、たくさん褒めてあげたい。だけど、おれが彼女にしてあげたいのは、それだけじゃない。甘えるのが苦手な彼女が、唯一ちゃんと甘えられる存在でいたい。おれにしかできないやり方で。おれにだから見せてくれる表情を。
 覗き込んだ先で目が合って、おれがじぃっと逸らさないでいると、やがて根負けしたようにの目が泳ぐ。俯こうとする彼女に、「?」ともう一度、囁くくらいの声で名前を呼んだ。細い肩がぴくりと跳ねて、それが最後の意地っ張りの殻を破る合図だったみたいに、おれの胸に体を寄せる。

「……ぎゅってして」
「うん。お安い御用さ」
「…な、なでなでも、して」
「もちろん」

 ほらやっぱり、どれだけ可愛いことを言ってるか、どれだけおれを喜ばせてるか、わかってないな。「お願い」を口にしながら、ちょっと不安そうにおれの服を小さく掴む手が震えている。なんにも不安がることなんてないのに。おれがの可愛らしいお願いを、嫌だと思ったことなんて一度もない。小さな体を、腕の中に閉じ込める。ぴったりとくっついたお互いの体のあたたかさに、この上ない安心感を得る。も、そうだったらいい。

「きの、した」
「ん?なんだい」
「…もっと…、もっとがいい…ぎゅうってして」
「いいとも。でも、がくるしくなるかもしれないなあ」
「ん…」

 それでもいい、とおれの胸に顔を押し付けたまま、くぐもった声を漏らす。お望み通り、抱きしめる腕に力をこめた。可愛いな。本当に、ずっと抱きしめていたいくらいだ。くるしいよって言われても、離してあげられないかもしれない。


「ん、なに…?」
「他に、おれにしてほしいことは?」

 おれは、したいことがあるけどな。そんな小さな下心を用意して、尋ねた。おれの言葉を聞いたが腕の中で身じろぎして、顔を上げる。おれも、見つめる。そして、その顔の近さと目が合ったことで、言葉の意味と、暗黙の了解ともいえる空気を、悟ったんだろう。言葉を詰まらせて、体を強張らせて、恥ずかしくってたまらなそうにきつく目を閉じた。そのまま距離を零にしようとするおれを、すんでのところでぐっ、と押し留める。

「だ、だめ!やっぱりなし!キスは…っ」
「…嫌?」
「だって……」
「……」
「…お、お酒くさいかもしれないから…今の私……」

 顔を背けながら、耳まで真っ赤になって、そう言った。きょとんと、一瞬言われた意味が頭に入ってこなくて、「うん?」と首を傾げる。顔をこちらに向けてくれないまま、だって、だって、と必死にが理由を話す。

「木舌がくれたお酒、いっぱい飲んじゃったし…多分今すごく、う…だめ!やっぱりちょっと離れて…」
「……おれも飲んだよ?」
「それとこれとは話が別なの!い、いいからっ!」

 おれの胸に手をやってぐいぐいどうにか押しやって遠ざかろうとするの必死さに、おれはつい笑いだしてしまう。抱きしめる腕を解放することはないので、それ以上距離を広げられずにが悔しそうに唸る。笑いごとじゃない、と恨めしそうに睨んでくるけど、少し潤んだその目が可愛いので、やっぱり、口元が緩むのを抑えられない。

「おれは好きだなあ、お酒のにおい」
「~っ! もう、ばか!そういう話、じゃ、…あ……」

 話してるそばから顔の距離が近づくので、が頼りなく眉を下げたまま、逃げられないと観念するようにぎゅっと目を瞑った。おれのシャツの胸元を小さく掴んで、その指が緊張と恥ずかしさで震えて。唇が触れ合う寸前の近さで、彼女をじっと見つめる。律儀に目をきつく閉じつづけるは、おれの悪戯心に気付かない。おれしか知らない、のとびきり可愛い顔。ずっと堪能していたいところだけど、待てども降ってこないくちづけに、あれ、と思い始めたが身じろぎして、そうっと目を開けようとするのが分かった。目が合ってしまう前に、唇を重ねる。ぎゅっとおれのシャツを掴む手に力をこめて、同時に慌ててまたきつく目を瞑った健気さに、たまらない気持ちになった。

「んっ…」

 目を閉じてするものだって、最初に決めつけてしまった誰かはもったいないな。薄ら目を開けて、おれに求められるまま必死に応えようと苦しげに眉を寄せる彼女を眺める。好きな女の子のこんなに可愛い顔を、こんなに近くで見られる機会なんて、くちづけるとき以外になかなかないと思うのに。ゆっくり唇を離すと、やがて目を開けたが、おずおずと、消え入りそうな声でおれに尋ねる。

「き、木舌……ちゃんと目、瞑ってる?」
「え?どうして?」
「だって、なんか…」
「うーん…瞑ってるかどうかは、が目を開けたまましてみれば分かるよ」

 いい案だと思ったけど、が真っ赤になって「そんな恥ずかしいことできるわけないでしょ!?」って怒る。「こんなに近くに相手の顔があるのよ!?ふつう、恥ずかしくってたえられない!」そうかなあ、いい案なのになあ。おれのこの、たまらなく愛しいって思える気持ちが、も少しは分かるかもしれないのに。笑って、の頭を撫でる。からかわれた、と納得いかなそうに口を尖らせる表情だったのが、じわじわ、物足りなさそうな表情に変わっていく。赤い顔のまま、もじもじと何か言いたげにおれを見つめる。

「もう一回?」

 おれが尋ねると、おずおず、小さく頷く。間髪入れずに、おれがその唇に、ちゅ、と短く触れる。一瞬で離れていった感触に、が「えっ」て目をまたたいた。

「足りない?」

 かあっ、とあっという間に泣きそうな表情になるを、慰めるようにまた唇を寄せる。唇、頬、耳朶、鼻先、瞼、額に。どれも短く、一瞬、小鳥が鳴くような小さなくちづけ。しばらく黙って、でも何か言いたげに受け入れていたが、そのうちついに、首を振った。弱々しく、いやいやと駄々をこねるように。欲しいものは、これじゃない、って。これじゃ足りない、って。

「……いじわる、しないで…」
「してないさ」
「してる…」
「ごめんよ。じゃあ、おれにどうされたら、は嬉しい?」

 の口から聞きたい。恥ずかしがりやで、難しくっても。おれの少し遠回しな聞き方に、はぐっ、とまた目を潤ませた。その目でおれを見つめるから、おれも目を逸らさないで、見つめ返す。はやがて、かわいそうなくらい震えた声を絞り出した。

「……もっと…ちがうのがいい…、…気持ちよくなるキス、が…いい、っんぅ」

 遮るように唇を塞がれて、咄嗟に引こうとしたその頭の後ろに、手を回した。先程よりもずっと動物的で、衝動的で、可愛らしいとは言えなくって、あんまり優しくできないくちづけ。唾液で濡れた唇が艶やかに光って、味わうように舌先で舐める。

「は、…っふ、ぁ……きの、した、」

 酸素を求めて離れた唇が、途切れ途切れにおれの名前を呼ぶ。それを聞いたらもう、息苦しさなんて構ってあげられなくなった。薄く開いた唇に、舌を捻じ込む。逃げようとする彼女の舌を捕まえて、執拗に絡ませた。くちゅ、って粘ついた水音が、より理性を奪っていく。

「……ん、んっ……うぅ、」

 彼女の目にじわりと滲んで、零れていった涙を、早く拭ってあげたくて仕方ないはずなのに。あと少し、もう少しだけ、という自分の欲が勝ってしまう。ああ優しくないな、参ったな、って思うのに、がおれに応えようとぎこちなく自分から舌を絡めてくるものだから。くぐもった声で、小さく、途切れ途切れに必死におれの名前を呼ぶものだから。なかなかやめてあげられなくて、何度も深いくちづけを繰り返す。

「……ぷはっ、…は、ぁ……はぁ…っ」

 やっとおれから解放されて、苦しかったぶん肩を上下させながら息を整える。それでも、瞳はとろんとして、唇の端から零れた唾液を拭う余裕もない。いやらしく光る銀色の糸をおれが舌で舐めとると、まだ続きをされると思ったのか、びくっとの肩が跳ねる。悪戯心をくすぐられて、ついでに唇に音を立てて吸い付いた。

「…お酒の味はしたかい?」
「ば、ばか……もう、味とか、分かんなかった…っ」
「ははっ」

 笑って、すっかりくたくたになったの体をそっとベッドに倒す。軋んだ音に、がちょっと躊躇うように、覆い被さろうとするおれの胸元に手をやって、押し戻そうとする。だけどその力があんまり弱々しくて、ちっとも抵抗の内には入らない。

「嫌だった?」

 そう尋ねられたの瞳が、頼りなく揺れる。

「おれ、が嫌がることはしたくないからね。嫌だったらすぐにそう言っていいんだよ」

 うそじゃないよ。本心だった。だって、そうじゃなきゃ、本当にとまらなくなってしまいそうだから。おれは優しくしたい、可愛いこの女の子に。でも、自分がちょっと意地悪な男になってしまいそうで。きっとこの子は、優しいおれを好きになってくれたんだろうってわかる。に、嫌われたくはないからね。もう一度たずねる。「嫌だった?」こんなおれを、嫌いになる?

「…い、いやじゃない…から」
「うん」
「もっと、して…」

 うん。そうか。それなら、よかった。震えた声と、潤んだ瞳。おれは自然と、やさしい笑みを返せていたと思う。ゆっくり、ベッドに体を沈ませる。ぎこちなく伸ばされた小さな手が、おれの頬にそっと触れた。「あのね、木舌」と内緒話のように囁かれた声。もっと聞きたくて耳を澄ませた。

「…すき」
「うん、おれも」

 すきだよ。が想像してるより、多分、ずっと。












「…ん……」

 目覚ましの鳴らない朝だった。目が覚めた時に、いつもの朝とは違う光景がそこにある。具体的には、自分が木舌に抱きしめられていた。近すぎる距離の木舌の顔にぎょっとして心臓が飛び出しそうになって、叫びだしそうになって、でもその木舌がまだ目を覚ましていないことに気付いてすんでのところで声を抑えた。なんだっけ、どうしたっけ、ええと、そうだ、昨日の夜は、木舌たちとお酒を飲んで、それで、部屋まで運ばれて、それで、それから――…記憶をたどって、それが鮮明になってくればくるほど顔から火が出そうになる。原因を作った木舌本人はのんきにまだ眠っているけど。そもそも、なんでこんなぴったりくっついて、ひとのこと抱きしめながら眠ってるの!私抱き枕じゃないんだから!

「木舌っ、起き……、…」

 ちょっと待って、今目が合ったら、どんな顔をしていればいいのかわからない。そう思った瞬間、また声が引っ込んだ。うぐぐ、となんだか悔しいやら恥ずかしいやら、感情がぐちゃぐちゃになる。

「ん…、…」
「!!」

 名前を呼ばれて、息をのんだ。だけどそのあとは何も言葉が続かないので、寝ぼけて呼ばれただけなんだとわかる。でも、寝ぼけてるくせに、ぎゅ、と私を抱きしめる腕に少し力がこめられた。ああ、もう、だから、抱き枕なんかじゃ、ないのに。どうせ変な夢でも見てるんでしょう。そう文句を言ってやりたいのに、少し、嬉しくなってる自分がいる。もう少し、このままでも、いいかな。ちょっとした悪戯心で、眠っている木舌の顔に、そうっと顔を近づける。

「……ばか」

 聞こえてないのをいいことに、小さく呟く。キスしてる最中は無理だけど、眠って、完全にこちらに気付いていないときくらいは、ぎりぎりまで顔を近づけても、へいき。……平気、かと、思ったけど。ある一定の距離以上は、むり。これ以上は、という距離まで近づくと、恥ずかしさでぷるぷる震えて、息がうまくできない。顔を背けてから、ぷはーっと息を吐いた。やっぱり、こんなの普通できないじゃない。息を吐いて、ちいさく咳払いして、今度はぎゅっときつく目を閉じながら、木舌の唇に顔を近づける。ふに、と触れたのが、唇というよりは、頬っぺただった。ああ、キスって難しいんだな、絶対木舌が起きてるときに私からしようとなんてしたら、今みたいにずれちゃって失敗して、笑われるに違いない。
 と、目を開けたときに、視線を感じた。きれいな緑色の目が、ひどく近い距離で、私を見ている。

「…、…き、っ! 木舌ぁ!!」
「ははは、おはよう。
「お、おはようじゃないわよ!!ばか!!起きてたでしょ!絶対、ぜったい起きてたわ!!」
「どうかなあ」
「信じらんない!!ばか!ばかばかばか!!はなして!はなしてよ!もう起きるわよばか!!」
「まあまあ。今日は二人とも非番なんだし、もうしばらくベッドにいてもいいんじゃないかな」
「はなしてったら!!ばかぁ!!



ベッドイン
アルコールワールド