笑いながら言ったその女を見て、自分の眉が吊り上がるのが分かった。
「……それがどうした」
「谷裂には言っておこうかなぁと思って」
はそう言うと、八百屋の店先に並んだ林檎を一つ手に取った。先程まで俺に向けていた視線はもうすっかりこちらには寄越さずに、じっとその赤い果物を睨んでいる。また別の一つを空いた手に取り、見比べ、重さを量るかのように両手の林檎を上げ下げし、結局最初に手に取った方へ向かって「こっち」と宣言し、俺に持たせた。
「言っておこうかなぁと思っただけだけど、谷裂はどう思った?」
視線をこちらに向けずに言う。そのせいで、先程の話の続きだと気付くのが遅れた。俺に向けられた言葉なのだと、遅れて気付いた。
「何がだ」
「えぇ?だから、ほら、私に好きなひとがいるって聞いて、どう思った?」
「……」
「応援してあげよ~って思ったり、え~相手だれだれ~?って思ったりした?」
「くだらん。どうもこうもない。俺には関係ないだろう」
そうだ、関係あるはずがない。この女がどこの誰に懸想しようがどうでもよかった。俺の返事を聞くと、は声を上げて笑い、「そう言うと思った」とやけに満足気に言いながら俺の背中を叩いた。背中に感じた衝撃は痛くも痒くも無い。叩いてきた手の小ささへの驚きの方が勝ったくらいだ。だがそれは顔に出さず、むしろそのじゃれつきの鬱陶しさに顔を顰めた。
「さっさと他の買い物も済ませるぞ」
林檎の他の必要な食材も買った後は、消耗品の補充も必要だった。手洗い場の石鹸、切れかかった電球、ペンのインクも頼まれている。買い出し係を名乗り出たのは俺の方が先だったが、が「自分も行く」と言って聞かなかった。一人でも事足りると言っても、「自分は買い物上手だから、手伝えるはず」と。たしかにさっきから「こっちの方が得」「こっちの方が甘いはず」といいながら厳選して物を買い込んでいる。「言われたものを買えばいい」としか頭に無かった自分よりは目が利くのかもしれないが、褒めてやるのも癪だ。
八百屋を出る頃には、は買う予定に無かったはずの蜜柑を二つ握っている。やはり褒めずにいて正解だった。
「おい。余計なものを買うな」
「買ってないよ。さっきの聞いてなかった?店主さんのオマケだよ。私が可愛いからだって。えへへ、うれしー」
眉根が寄った。そのまま、八百屋の店先を振り返る。店主はもうこちらに目もくれず、違う客を相手にしているようだったが。恰幅の良い短髪頭の男だ。俺がしばらくそちらを見ていると、横からに肩を叩かれる。
「べつに深い意味はないでしょーよ。誰にでも言ってるのよ、あの店主さん」
「……」
「蜜柑、二個くれたし。一個は谷裂に、ってことじゃない?はい、あげる」
「要らん」
「えー?剥いてあげる?」
「要らん!道で食おうとするな!館に帰ってから食え!」
俺が少し声を大きくしてそう言ったところで、はたいして気にする様子もなく、笑って俺の肩に置いていた手を離した。蜜柑は上着のポケットに入れたようだ。手は離れていったが、俺のすぐ隣を並んで歩く。叩こうと思えば俺の背中も肩も叩ける距離に。
「次ー……あ、文具屋さん!私この前壊れたペンを持って相談しに行ったらすごく丁寧に対応してくれたんだよねぇ。この間のお兄さん、今日もいるかなぁ」
「……」
「ああでもここからだと先に電気屋さんに寄った方がいいかな。電球?買うやつ、大きさとかメモしてきたっけ。まぁでも分かんなくてもたぶんあそこのおじさん親切だから、」
「お前の言う『買い物上手』は、そういうことか?」
「え?」
「まけてもらっただの、親切にされただの……女のお前に都合良く声を掛けているだけじゃないのか」
面食らったように、が目をまたたかせる。その表情すら少し腹立たしく、軽く鼻を鳴らして俺は視線を逸らした。呆けるかと思えば、は次の瞬間にはまた笑いだし、懲りずに俺の肩を叩いてきた。
「何がおかしい」
「ふふっ、あはは!いや、ううん、おかしくないおかしくない。そうそう、多分、女だからって理由でオマケがあるのかも」
「フン……」
「まあでもいいじゃない?本人は悪い気しないんだもん。やさし~くされると嬉しいでしょ、理由がなんであれ」
「それを見越してか弱いふりなど情けない。貴様はもっと特務室に身を置く者という自覚を持てんのか」
「ぶー」
「……どうせお前が懸想している相手にも、そうやって……」
言いかけて、やめた。この話は、やめだ。そのつもりで話を打ち切って首を軽く振り、先を急ごうとした。しかしそれをさせまいとするように、が俺の腕をとる。引き留めることを目的にするというよりも、そのままは身を寄せて、俺の腕に引っ付いてくる。
「好きなひとにも、そうやってか弱いふりしてるのかー、かわい子ぶってんのかー!って?」
「おい、引っ付くな」
「どうでしょうねぇ?そうしたところで、女として見てくれるとか優しくしてくれるって感じじゃないしなぁ」
「……」
「あ、優しくないわけじゃないけどね。優しいけど、分かりにくく優しい人だから」
「…………」
「あ!ちょっと意外そうな顔。優しくしてくれる人がタイプだと思った?」
「……知らん」
「もしかして!町の人の中に私の好きなひとがいるかもとか思った?」
「知らんと言っているだろう!」
「だとしたら、どう思った?谷裂」
本当に、面倒な女だ。言うことやること、いちいち腹立たしい。
「ムカついてくれた?イラっとした?」
答えないでいると、さらに言葉が続けられる。「違うよ。私の好きなひとは、その中にはいないよ。八百屋の店主さんでも、文具屋のお兄さんでも電気屋のおじさんでもないよ」
「どう思った?安心した?」
「……調子に乗るな。離れろ」
「だってさあ、『どうも思わない』はちょっと寂しいんだもん。私に好きなひとがいるって聞いても、私がいっつも谷裂と二人で出かけたがっても、こうやって谷裂に触っても、なんにも思わない?」
言われてみれば、以前からこいつはやけに距離が近く俺の体に触れてくる。(誰にでもそうだろうと思っていたが)(そうだと思うと、妙に腹立たしかった)
そして言われてみれば、いつもいつも俺が出かけようとすると同行を名乗り出てくる。(べつに俺に限ったことではないのだろうと、)(そう思えば思うほど何故か、やけに、苛立った)
「……お前が…色恋沙汰にうつつを抜かすのは勝手だが、仕事を疎かにするなよ」
「んー…しないよ?だって私の好きなひとは、そういうのすっごく嫌うからね」
「……」
「ねえ谷裂。今の、どう思った?」
「…知らん」
「もしかしてこいつの好きな奴って~、とかおもった?」
「しつこいぞ、貴様」
腕をつかんでいたの手が、するすると移動して、俺の手に重ねるように触れてくる。払い損ねた。数秒程度、目を閉じ、深く溜息を吐く。本当にこの女は面倒で、腹立たしく、言うこともやることも回りくどく、厄介だ。俺がその手を払いのけなかったことを喜ぶように、は笑っていた。
「あのね、私好きなひとがいるの。谷裂はどう思う?谷裂は……私のこと、どうおもってる?」