「あっ!た、谷裂!お疲れ様!」
鍛練場から引き上げようとしたところ、聞きなれた声で名を呼ばれる。顔をそちらに向けると、が自分のすぐ傍までやってきた。やけに、落ち着かない様子で。何かを気にするようにそわそわと。俺が眉間に皺を寄せても、視線を合わせないので気付いていないらしい。
「どうした。何かあったのか」
「えっ、えーとね……そのー、ほら!」
見たところ、何かを背後に隠している。妙に落ち着きなく体を左右に揺らし、ぎこちない笑みで誤魔化しながら。ますます訝しむが、勿体ぶったわりに結局が背後から取り出したのは菓子の包みだった。それに、拍子抜けのような、何をそんなに緊張した面持ちで俺に見せる必要があるのかと納得のいかない気持ちになる。
「あのね、これ谷裂にと思って、よかったらなんだけど……」
「菓子か。俺は要らん」
「……はェ゛!?」
「なんだその声は……。べつに甘い物を摂る気分でもないからな。俺の分は他の連中に、」
「た、た……っ」
「む…」
「谷裂の馬鹿!!ハゲ!!もうしらないっ!!」
「なっ!?」
突如そう罵ってきた相手に、おい、と文句を言い返しかけたところで、その相手の目に涙が浮かんでいることに気付く。口にしかけた文句はその瞬間に飲み込まれ、呆気にとられている内にはその場から逃げるように走り出していた。わけが分からず暫く立ち尽くし、沸々と込み上げてくる苦い感情と共に大きく溜息を吐いた。
「……おい、を見なかったか」
「あれ?少し前に谷裂を探して鍛練場に向かったと思ったんだけど、すれ違っちゃったかな」
「…………」
「おや、その様子じゃ喧嘩だね」
「よくめんどくせーことやるな、こんな日に」
「なんだと」
「貰えるもん大人しく貰っとけば平和なのによ」
談話室にいた連中に声を掛けるとそんな返事があった。田噛の口振りに、先程が俺に渡そうとしていた菓子のことが頭を掠める。「何か知っているのか」と田噛に向かって訊くと、佐疫も木舌もこちらを見て、その後すぐに二人で顔を見合わせた。
「ええと、は多分谷裂に渡したいものがあって探していたんだと思うよ。受け取らなかったかい?」
「菓子のことなら、受け取っていない」
「えっ!?どうして?」
「どうしても何も、腹が減っているわけでもなし、食う気分では無かったからな」
「えっ……」
「ああ……」
「うわー。めんどくせーことやらかしたなお前。知らね」
三者三様の反応だが、同情のような眼差しを向けられていることは分かる。気の毒に思うような、そんな顔だ。だがその同情は、自分ではなく、に対してのものであるような気もする。やらかした、と言うからには、自分の行いが間違っていたとみなされているということだろう。俺が納得のいかない顔をしているのに気付いてか、佐疫がやんわりと諭すように話しだした。
「谷裂。今日、"この世"でバレンタインデーっていうイベントがあって……好きな相手とか、いつも大切に思ってる相手にチョコレートを贈るんだ。はそれを谷裂に渡したかったんだと思う」
「……何?」
「谷裂は多分、ただみんなで食べるようななんでもないお菓子をが持ってきてくれたと思って断ったんだろうけど、にとっては特別な思いのあるものだったから、突き返されてショックだったんじゃないかな」
そう言われて、考える。思い返す。あいつは俺が鍛練場から出てきたときにちょうど現れたわけではなく、俺が出てくるのを待ってあの場にいたのかもしれない。待っている間にも、渡す際の言葉を考えて。あの妙なぎこちない笑みも、緊張を誤魔化すような振る舞いも、理由のあるものだったのではないか。その声は、手は、震えていなかったか。
「あー。かわいそーに」
特に感情の入っていない、棒読みともいえるその田噛の台詞が、いつもならただの煽り文句だと理解できるはずだ。だが、今の自分にそれを聞き流す余裕は無かった。カッと火がつくように頭に血が上り、「俺が知るか!」と思わず声を荒げていた。
そうだ、そんなこと俺の知ったことではない。人間のやるくだらない祭りに便乗したいだけだろう。そもそも、そもそもだ、それならそうと最初から言えば良いものを!
「そうだね。お互いに誤解があったことを正直に話せばいいとおれは思うよ。そういうつもりで断ったわけじゃない、ってね」
「……」
「その後に、本当は要るのか要らないのか、言ってあげればいいのさ」
そうだろう?とこちらの胸の内を見透かすように笑う木舌に、田噛とは別の忌々しさをおぼえる。またもや盛大な溜息を吐いて、俺はその場を後にし、の部屋へ向かった。
「……邪魔するぞ」
思ったよりもすんなりとその扉は来訪を受け入れた。開けた扉の先、ベッドの隅で布団を被って膝を抱えている人物が目に入り少し身を引きたくなるが、視線が合わなかったことが少し救いだった。近付く際の自分の足取りは重く、慎重にもなる。俺に気付いているであろうが顔をこちらに向けず、一言も声を発しないことが、この場の空気を張り詰めたものにしていた。
「……おい」
「……」
返事は無いが、今にまた癇癪をおこしたように怒鳴り散らしてもおかしくない。地雷を踏み抜く危険と隣り合わせのような気分で、俺は続く言葉を考える。木舌は、まず正直に話せばいいと言った。だが、一からああだこうだと口で説明することは妙に言い訳がましく思える。言葉に悩み、考える内にまた溜息を吐きたくなった。結果的に吐き出したのは、溜息だけではなかった。
「……腹が減った」
「え……」
「さっきの、まだ残っているなら寄越せ。俺が食う」
が、被っていた布団から顔を出し、俺を見上げた。あれからしばらく泣いていたのか、少し赤い目で。ぽかんと呆けたようにも、真意を探っているようにも思えるその視線を、俺は黙って浴び続けた。
やがてが何か言いかけて開いた口を、ぴたり、と止めた。そして、ぐ、と眉根を寄せて、唇を尖らせはじめる。雲行きが怪しいことに薄々気付いた俺も、続く言葉に身構えた。ふいにが俺に背を向け、壁に向かって話す。俺に向けたであろう言葉を。妙にごそごそと不審な動きをしながら。
「……もうないもん」
「何?」
「た、食べちゃったもん!」
「……」
「谷裂が要らないって言うからやけ食いしちゃったもんねーだ!」
「……お前は……」
「だ…っ、だって、私だって谷裂に食べてほしかったのに……悲しかったし……」
「……そうか」
「とにかく、今はもう私のおくちの中ですよーだ!本当に欲しいんだったら私に、んっえ、!?」
ぐいとその腕を掴んで無理やりこちらに顔を向けさせる。驚いた瞳と完全に視線が絡む前に、噛み付くように唇を奪い、そのまま押し倒した。抗議の声はくぐもって意味をなさず、抵抗するようにばたつかせていた足も、次第に動きを止めた。
「ん……待っ、て……っんむ、~っ!」
舌を捻じ込んで歯列をなぞり、唾液を絡ませては相手の舌に吸い付く。品の無い音を立ててそれをしばらく続けた頃、眉間に皺が寄った。妙だ。自分の予想していたものとは違う。いくらの口腔を舌で弄ろうと、欠片ひとつもその"チョコレート"の味は見当たらない。
唇を離すと、力が抜けたようにくったりとしたが震えた手で、隠していたものを俺に見せて寄越した。先程、一度俺に背を向けてごそごそと何かしていたのは、ただ、隠していただけらしい。
それは、鍛練場の前で、俺に一度渡そうとしてきたもの。全く封をあけた様子のないまま、そこにあった。
「……、……」
「た……たべてない……も、もうないよ~んって言ったら、たにざき、あせってくれるかと、おもっへ……」
「……」
「ちょっといじわる、したかっただけで……うっそぴょ~んって…言おうと……」
「……この…ッ!! それをさっさと言わんかお前は!!いつもいつも…!!」
「だって谷裂がっ!たにざきがわるい!!」
(happy happy Valentineday)