ろくな愛をしらない
べつに谷裂が油断してるってわけじゃないと思うんだ。こう見えても気配を消して行動するのは上手い方だと思っているし、誰だって寝てるときくらい、警戒を怠ってしまうものだと思うし。だからそう、私が簡単に谷裂の部屋に侵入できちゃっても、全然谷裂は悪くないっていうか。相手が私だから不運なだけっていうか。
「~ッおい! 待て、この……ッお前、だな…!」
「あ、正解~!暗闇の中でもよくわかったね~。愛じゃん」
「ふざけたことを言うな!他人の寝床で何をしている!寝首を掻こうとでも、」
「いや、ただの夜這いだけど」
「今すぐ出ていけ!!」
さっきまで寝てたのに一瞬でワーワー騒げるの元気だなあ、谷裂。寝ているところ耳に息吹きかけたらビクッと反応したの面白かった。そのまま覆い被さってあげてたのに、べりっと体を引き剥がされてしまった。暗闇の中でも、私のことを恨めしそうに睨んでいるのが分かる。そして怒りと焦りで興奮気味にフーッと息を吐いているのも。猫みたい。
人差し指を立てて、口元に寄せる。「こんな時間だから、静かに」
お前のせいだろうが、とぴきぴき青筋立ててそうだけど、それは暗くてよく見えないな。都合の悪いことは、私ぜんぜん見ない主義なので。
「べつにいーじゃん~。なんか目ぇ覚めちゃってさ~、谷裂が恋しくなってさ~。ね?愛じゃん」
「貴様……」
免罪符のように掲げる愛のもと、私は掛け布団を取っ払って、改めて寝ている谷裂の上に跨った。睨んでいる谷裂の視線が、私の下半身に向けられる。谷裂には生涯無縁そうなふりふりレースを視界に入れて、口の端を引き攣らせたのがわかった。大丈夫大丈夫ご心配なく。上も脱ぐから。自分の上でおもむろに寝間着のシャツを捲り上げた女に、ちょっとの間だけ大人しかった谷裂も、また怒り出す。
「おい、退け!いきなり睡眠を邪魔されて、誰がお前の欲求不満に付き合うか!」
「え~。ノリ悪いな~谷裂。そこは喜ぼうよ」
「ふざけ…っ、お前は、~ッ」
シャツを脱いだら下着じゃなくて、おっぱいがそのまま露わになったことが谷裂クンにはちょっとびっくりだったらしい。舌打ち混じりに咄嗟に顔を背けるっていう、随分可愛らしい反応をされてしまった。私寝るとき着けない派だからなあ、しかもどうせ脱ぐのにわざわざ着けてこないんだよなあ。
「もう~、いいじゃん。そりゃあ眠いところごめんねとは思うけど。まあめんどくさかったら私が勝手にするから、谷裂寝ててもいいし。……ん~、睡姦?我ながら結構ヤバいな?」
「……お前、いい加減に…、」
体を沈ませて、文句を飲み込むように唇を重ねる。相手が不意を突かれている隙に、そのまま舌を捻じ込んだ。探るように口内を舌で弄って、見つけた谷裂のベロを舌先でなぞる。目を開けてその顔を見れば、視線が絡んだ。目を細めたら、それを挑発と受け取ったのか、忌々しそうに谷裂が目をきつく閉じる。私の頭の後ろに手を回して、ぐっと引き寄せた。
「ん……っふ、…はぁっ」
ねっとりと舌が絡む、深いくちづけ。ああ、あっという間にお互いに火がつく。くちゅくちゅ、じゅぷじゅぷ、夜の静寂には似合わないやらしい水音。どちらのかもわからない唾液を飲み込んで、酸素を求めて唇を離したところをすぐつかまえられて塞がれる。苦しさに、くぐもった声が漏れた。仕返しに舌を甘噛み。そんなのを繰り返して、お互いなかなか優位を譲らない。頭がぼーっとして酸欠になりそうになって、ようやく唇を離した。あーあ、よだれべちょべちょ。
「はぁっ……ふふ…谷裂、負けず嫌いだなー」
「…っるさい、お前が…しつこいからだ…っ」
「え~? あははっ」
谷裂の広い胸にぴったりと自分の体を密着させながら、頬に手を伸ばした。「キス、気持ちいいねえ?」
うっとり声に出して、その頬を撫でる。もっと気持ちいいこともしたいなあ、の意味もこめて。そんな邪心を読み取ってか、谷裂がぐっと何か言いたげに唇を曲げた。流されて、この体勢受け入れて、ちゅーもしちゃって、悔しいかな?でももっともっと流されてくれないかな?いやまあ、このまま谷裂の胸を枕に眠るのも、幸せだろうとはおもうんだけど。私は谷裂の鼻先を指でつんつんつついて、わざとらしく甘えた声を出す。
「ねーえ、してくれないの?ちゅーしてくれたのに?」
「……」
「そーいう気分なんだけど。谷裂とエッチなことしたいんだけど」
「…発情期の犬猫じゃあるまいし、男の部屋に入り込んで、抱けだの、なんだの……恥ずかしくないのか、お前は」
「あー、ひとのことアバズレクソビッチみたいに思ってるんだー、ひどーい」
心外だ。口を尖らせて、私は谷裂のズボンを脱がしにかかる。心外だって言った割に、行動は完全に「そういうやつ」だな。おい、と怒った声を出して、谷裂が私の手を掴もうとする。むー、と唇のとんがり具合の角度が最大になる。私はぱっと手を離して、谷裂にのっかっていた腰を上げた。急に引き下がったことに谷裂が訝しむ。でもお構いなしに、私は立ち上がって、部屋の扉へ向かおうとする。
「……おい」
「いいよ~っだ。性欲オバケ淫乱女はさみしーく帰りますよ~っだ」
「……べつに、そこまで言ってないだろう。おい、」
「は~あ。谷裂のせいでむらむらしたまま部屋に帰るのか~。悲しいな~」
「その格好で帰るな。おい、話を聞け!」
まあ確かに。パンツ一枚で自室まで帰るの、いよいよヤバい女じゃん。すでにいろいろ手遅れっちゃ手遅れだけど。私は振り返って、谷裂にべえっと舌を出してやった。布団から体を起こした谷裂が、私を見ていた。
「谷裂は私が誰でもいいから男と寝たいだけのただの欲求不満女だと思ってるんでしょうから?いーよ。お望みどーり、このまま他の男のベッドに潜り込んできますよーだ」
「…は、」
裸の上半身を隠すこともなく堂々と。私は谷裂に背を向けるなり歩いて、部屋の扉に手をかけた。おい、とまた聞こえた声を無視して、廊下へ出る。その直後に肩を掴まれて、部屋の中に容易く引き戻された。扉が閉まる。後ろから大きな体に抱きすくめられて、その腕にぎゅうっと力が入るものだから、愛おしさに溜息が出そうになった。ごめんね。谷裂が可愛いと、意地悪になっちゃうな。
「焦った?」
「……黙れ」
「私が他の男に抱かれるの想像したら、嫌だった?」
「もう黙れ、お前は…」
「……」
「黙って…俺に抱かれていろ」
怒りなんてものはとっくにその声からは薄れていて、いっそ切なささえ滲んでいるような、そんな声だ。ああ、こんな女に振り回されて、調子を狂わされて、おちおち眠れやしなくて、可哀想に。じくりと胸が痛むのと一緒に、やっぱり言葉にし難い愛おしさが込み上げてくる。いとおしさ、だ。ほら、愛じゃんか。これはきっと。(最初から言ってるじゃんか、ずっと)
「谷裂としたいんだよ。一晩中。抱いてくれる?私のこと」
振り返って、谷裂の首の後ろに腕を回す。歯痒そうに眉間に皺を寄せるこの男は、きっとなかなか私の言葉を信じてはくれない。試すつもりでなんか言ってないのに。きっとこの誘いを断れば、そのうち私がふらふらと、別の男の元に行ってしまうのだと本気で思うんだろう。都合よく自分を玩具にしているだけなんだろう、と。からかっているだけなんだろう、と。それが許せなくて、屈辱で、でも突き放せなくて、行かせたくなくて、引き寄せる。
「谷裂、ちゅーしよ」
愛なんだけどな。これが私の一番わかりやすい愛情表現なんだけどな。あと何回ちゅーしてえっちしたら伝わってくれるんだろうなぁ。ぼんやり思いつつも私は笑って、おどけた調子で唇を突き出す。大きな手のひらが腰を撫でて、ぞくりとこの後の行為に期待した。骨ばった大きな手、男の、谷裂の手。やっとさわってくれた。