「おい、そこで何をしている」
「ん。ああ……谷裂かあ」

 聞こえた声に顔を上げれば、谷裂がいた。ぼんやりと廊下の窓から外を眺めていた私に、彼は怪訝そうに眉を顰めている。何かそこにいたのか、と尋ねるように、私を真似て視線を窓に移すけれど、特に変わった様子のないことを確かめて、さらに眉間のしわを深くした。

「外には何もないよ。ただぼーっとしてただけ」
「……ふん、暇な奴め」
「えー。谷裂は無いの?ただぼーっとしたくなるとき。……ないかあ。ないなあ。谷裂はないなあ」
「お前のように暇ではないからな。そんな無駄な時間を過ごすくらいなら、」
「鍛練しろ~って?谷裂はそうだよねえ」

 まあ、そういうやつだよねえ。納得して、私はもう一度外を眺めた。廊下にぼうっと突っ立ってたらさすがに不気味だったか、邪魔だったか。まあ、ぼーっとするくらい、自室でもできることだしなあ。そう思いながらも、私の口は勝手に、「今日さぁ?」と話し出していた。谷裂が「はあ?」って顔するのはわかってたけど、話し出していた。私のてろんてろんしたマイペースすぎる喋り方と谷裂の性格はあんまりマッチしないので、世間話に花が咲いたこと、あんまりない。でも悪い奴じゃないから、わりと聞いてはくれる。今もそうだった。

「任務で会った亡者がさあ、まあなんか自殺した人間らしいんだけどさあ」
「……」
「なんで自殺したのん?って聞いたら、『なんにもないから』って言ってたんだよねえ」
「…お前は、また」
「そうかあ~なんにもなくても死ぬのか~って。なんかそれを、ぼーっとしてたら思い出したんだよねえ」
「くだらん。お前はいつもいつも、亡者と余計な話をしすぎだ」
「えー。谷裂がしなさすぎなんだよ~、亡者かわいそう」

 とはいえ適材適所というか、基本肋角さんが谷裂に任せるのは荒事になりそうな任務ばかりだし、説得とかそういうの、べつにいらないんだろうな、普段。肋角さんもたぶん谷裂にそういうの回したいわけじゃないだろうしな。自分で話し出しておいて、欠伸が一つ零れる。まばたきを、間隔あけて二度、三度。今日話した亡者の顔を思い出す。いや、やっぱりあんまり思い出せなかった。ぼんやりと靄がかかる。誰かに似ていた気もするけど思い出せない。顔は思い出せないけど、声は思い出せる。空っぽで、虚無、って感じの声。たしかに、「なんにもない」って感じの。

「きっとすごぉくゆるやかな絶望なんだろうねえ。やりたいこともやるべきこともなくて、ただなんとなく、毎日毎日何もなくて、変わらなくて」

 何かすごく辛いことがあって自殺したひととか恨みがあるひととか、そういう亡者ばっかり見て来たから、なんか今日の亡者と話していると不思議な気分になった。なにを思うわけじゃないけど。「そうかあ」としか言えなかったな。それでもあの世にいかないで現世で留まってたんだから、何か理由があったんじゃないかって思ったけど、「未練、何もないなあ」って、本当になんにもなくただ大人しくついてきてくれた。拍子抜けはしたけど、対応的にあれでよかったのか、今もよくわからない。

「…それで、何が言いたいんだ」
「…………いやべつに」
「……」
「なにもないよ」
「お前は……」
「なにもないけど、何もないのを、人間は死ぬことを選んで終わらせることができるんだなあって」
「……」
「そうおもった、」

 そう思っただけ、だけど。「そう思ったらさあ」……その続きを用意していたわけではないのに、これじゃあ続きがあるみたいな言い方だ。こんな言い方をしてしまったからには、続きを何か言わなきゃと考える。答えは空に浮かんでなんかいないのに、視線はまたぼんやりと窓の外へ向かった。

「死ねない奴は、どうしたらいいんだろうねえ…」

 適当に口にした「つづき」に、自分でも「たしかに」と思う。死ねない奴、「死」の無い奴、たとえば、そう、そうだなあ、獄卒とか。終わらせることもできないまま、「何もない」のがこの先ずーっとずーっと、ずっとずっとずっとずっと続くんだな。谷裂はさあ、「何もない」じゃないもんな。暇があれば鍛練しよーっておもうし、ぼーっと外見たりしないもんな。谷裂は、ないなあ。分かんないよなあ、きっと。馬鹿にしてるわけじゃなくってさ。ただ本当にそう思っただけ。
 谷裂は黙って聞いてくれていた。驚くでも怒るでもなく。だから私も表情を変えずに、軽く首を傾げる。

「くだらん、っていわないの?」
「……くだらん」

 私に促されて、しかたなくオウムのように返したのか、それとも本心でくだらないと思ったのか分からないけど、わざと呆れたふうに、微かな溜息まじりに谷裂が言う。なんだかそんな様子の谷裂の言う「くだらん」の四文字が不思議とおかしくって、私はちょっと口元が緩んだ。

「そうだね、くだらんだね」
「……馬鹿にしているのか」
「えー。してないよ。たしかにくだらないことだなーって」

 あの子は、自分の人生がくだらないって気付いてしまって自殺したのかなあ。誰かにくだらないって言われて死んだのかなあ。それとも、誰にも言ってもらえなくて、死んだのかなあ。あの子の、あの顔、夢に出そうだなあ。あれ、忘れてたはずなのに、いつのまにか思い出しちゃったな。(谷裂に名前を呼ばれる。「ここ」で、もらった名前を。これからもずっと、その名前で私はきっと呼ばれる)

「お前は、獄卒だろう。人間とは違う。此処で、すべきことのある存在だ。そんなものと比べるな」
「…」
「『何もない』などと、二度と言うなよ。『お前』は、『そいつ』とは違う」

 あの子の、あの顔。あの、ねむそうで、うつろで、ぼんやりで。ああ、私にちょっと似てるなあこの顔、って、思ったんだった。

「…谷裂かあ。こういうとき、私を見っけて、私に話しかけてきたの…谷裂かあ。なんで谷裂かなあ…」
「……馬鹿にしているだろう、お前のその言い方は」
「まあ、谷裂でもいいのかなあ」
「は?」
「いいんだろうなあ、たぶん」
「なんの話を、」
「抱きしめていい?嫌って言われても抱きしめるけど」

 自分より随分体のでかい相手に、両腕広げて倒れ込むように抱き着く。抱き着く寸前に見たときは「は?」って顔のままだったけど、今この瞬間もその表情のままなんだろうか。もうその胸に顔をうずめてしまったので、わからない。「死」なんてないのに、この腕の中に「ぬくもり」っぽい何かがある。獄卒って、変な存在だ。まったくどうして、こんなにも。ぎゅ、と少し抱き着く力を強めた。谷裂がなんにも言わないのが意外だった。すぐに「離れろ」って言うと思ったのに。びっくりして固まってたりするんだろうか。ああでもそのわりに、今、誰かの手がすごく遠慮がちに背中に触れた気がする。気のせいかな。今なんか言ったら絶対離れていきそうだな。しばらくこのままでいてもいいかなあ。



あいつは卑怯なさみしがり