谷裂とは似ているね、と、水色の瞳をした同僚の言った言葉を思い出していた。

「べつに、助けてくれなんて頼んでなかったのに。私一人でどうにかなったのに。谷裂って意外にお節介」

 こんな腹の立つ文句を言ってくる生意気な女と自分が「似ている」と評価されるのは我慢ならなかった。一体佐疫は俺と此奴の何を見て、似ている等と言ったのだろう。暗い森の中で、俺は何も言わず女を見下ろしていた。此方の神経を逆撫でするような振る舞いをする女だ。何か言い返してやっても良かったが、特に言葉が出てこなかった。いや、いつもならその安い挑発に乗ってやるところだった。自身も、それを望んでいるように見えた。だが、奴が望んでいるからこそ、俺は何も答えなかった。ただの強がりでしかないのだ、今の此奴の言葉は。言い返すのが、馬鹿馬鹿しかった。

「何か言ったらどうなの、谷裂。私の仕事を横取りしたのよ、あんた」
「……」
「ちょっと。聞いてるの」
「…貴様、少し黙れ」

 大口を叩く割に、女は地面に手と尻を付いた状態から、体を起こすことをしない。俺をただ見上げて、睨むだけだ。制服はぼろぼろ、頬にも切り傷がある。しかし何より目を引くのは、右足の怪我だった。出血が酷い。恐らく歩けはしないだろうし、立ち上がることすら難しいのだろう。俺がこの森でを見つけた時には、既に凶暴化した亡者に甚振られ、地面に伏していた。そんな此奴にさらに一撃を加えようと亡者が襲いかかった所を、俺が薙ぎ払った。二度と歯向かう気など起きぬように徹底的に制裁した。そこで、先程の台詞だ。「助けてくれなんて頼んでなかった」と。「自分一人でどうにかなったのに」と。

「傷を見せてみろ」
「嫌よ、お節介。触らないで」
「いい加減にしろ。此処に捨てていくぞ」
「そうしてくれって言ってるの」
「なんだと」
「どうせ時間が経てば傷なんか再生するじゃない」
「その時間が無駄になると言っている。さっさと帰って報告しなくてはならん」
「あんたの施しなんて受けないわ。余計なお世話!なんで私の任務の邪魔しに来たのよ」
「俺が此処に来たのは肋角さんの指示だ。肋角さんの判断に文句をつける気か、貴様」

 そう言って睨みつけると、相手はぐっと唇を噛んで身を引いた。俺の視線に怯んだ訳ではない。俺の言葉に、大人しくなったのだ。俺の口にした、あの人の名前に。元々この任務は一人で行うはずだった。だが調査を進める内どうやら亡者の怨霊化が予想以上に進んでいることが分かり、一人では手に負えないかもしれない、とあくまで「念の為」、後から俺がこの任務へ送られたのだ。だが先に向かったと合流出来たときには既にこの有り様だったわけだ。
 が大人しくなったのを確認して、俺はその場にしゃがんで奴の右足に触れる。何か布を、と思った時には当然の様に自分の上着に手を掛けたが、が依然不機嫌な声で「やめて」と短く制した。がいつも提げている鞄から包帯を取り出すのを見届けてから、持ってるなら最初からそれを寄越せと手を出すと、またもや不機嫌な声で「自分で出来るからいい」と返された。苛立つ。だが此処で見捨てて帰ってもそれはそれで癪だ。此奴はそれを望んでいる。ならば意地でも自分が連れて帰ってやると妙な反抗心が生まれた。

「谷裂、傷の手当てなんか出来なそうだもの」
「…馬鹿にするな」
「ガサツそうで、不器用そうで」

 俺の顔も見ずに、黙々と手を動かす。腕を潰されていなくて良かったな、と鼻を鳴らした俺にも何も言わない。腕が動かない状態だったとしても、此奴は俺に助けを求めることはしないだろうが。いつもそうだ。この頑固者が。前から此奴とは馬が合わないと思っていた。任務のこととなると余計にだ。

「……」
「…」
「……」
「………」
「…谷裂」
「なんだ」
「私を哀れんでるんでしょう」

 の手が止まって、俯いたまま顔を上げなくなる。俺はその頭の旋毛を見ながら眉を顰めた。

「女のくせに無茶ばかりして馬鹿みたいだって思ってるんでしょう」
「…」
「あんな亡者一人捕まえられないで、返り討ちに遭うなんて、使い物にならないって思ってるんでしょう」
「……」
「女は弱いって、思ってるでしょう。女のくせにでしゃばるなって、思ってるでしょう」
「………」
「私の事助けて、ほらやっぱりお前は弱いじゃないかって、あんな奴俺だったら一撃で倒せるって、」
「…」
「お前みたいな弱い女が特務室にいたら、肋角さんに迷惑が掛かるって、思ってるんでしょ、」
「お前を特務室配属に決めたのは肋角さんの意志だ。その判断に疑問を持つという事は、肋角さんを疑うという事だろう。俺はそんな馬鹿な真似はしない。疑う者を許さない。それが例えお前自身だったとしてもだ、。お前がお前自身を弱いと思うなら、女がどうだの俺や肋角さんの意見がどうだのという理由に逃げる前に鍛錬に励んだらどうなんだ、馬鹿者め」

 一度ハッと顔を上げて俺を見たかと思えば、その視線はすぐに降下して行き、また俯く。地面に付いた手に視線をやれば、その指先は地面に深く爪を立てていた。怒りか。悔しさか。それは俺に向けられたものか、自身に向けられたものか。
 俺達と同じ場所で同じ様に生活し、同じ任務をこなす女の獄卒は、今のところだけだった。それだけ女の獄卒の中では腕っ節が強いだの優秀だのと期待されていた。その期待を裏切ることが、耐えられないのだろう。女だからと甘く見られることも、許せないのだろう。

 俺に、弱いだの使えないだの、これだから女は、だのと言われれば、怒りや悔しさの矛先は俺に向くのだろう。それはきっと、自分自身を憎むより、ずっと簡単なことだ。
 逆に俺に、そんなことはないお前はよくやっているだの、迷惑なわけがないだろうだの、適当な慰めを受ければ、心は軽くなるのだろう。

「甘ったれるな」

 そんな言葉を期待しているのなら、他を当たれ。俺を、自分を甘やかすための道具に使うな。ああ本当に腹立たしい。俺と此奴が似ているなど、侮辱にも程がある。は黙ったまま何も言わなかった。だから俺もこれ以上の言葉は不要だろうと、息を吐く。

「背負ってやる。乗れ」

 背中を向けてそう告げても、すぐにはは動かなかった。屈辱だと思うのだろうか。これしきの事、馬鹿馬鹿しい。借りにも貸しにもならんことだ。焦れて何か一つまた言ってやろうと思ったところで、ようやくの腕が俺の肩に触れた。「ちゃんと掴まれ」と忠告すれば、その腕はがっしりと俺の体にしがみつく。立ち上がって歩き出してから、その軽さに少し驚いた。もっと重いと思っていた、等と口にするのは後が面倒そうなのでしなかったが、せめてもっと重ければ館までの道が鍛練になったのにと残念に思ったのだ。

「谷裂」

 沈んだ、小さな声が俺の背中に吸い込まれる。また何かどうしようもなく情けない泣き言を言うのかと眉が少し寄った。だから俺は返事をしてやらなかった。俺の想像と違う言葉が吐き出されても、暫く返事をしてやらなかった。

「…肋角さんには、いわないで…、おねがい…」

 湿った声は、俺の想像より遥かに弱々しくて情けなくて、心臓に悪い。しがみつく腕の強さが増しても、それでもなぜだか余計に弱々しい力に思えた。矛盾している。背中が熱い。燃えるように熱かった。此奴の涙のせいで服が湿ってしまっているのだから、冷たくったっていいくらいなのに。どうしてこんなに熱いのか。矛盾している。けれど、そういえば涙とは熱いものだったような気もする。もう暫く涙など流していなかったから、記憶が酷く曖昧だった。やっぱり俺とは似ていない。俺はこんなに泣き虫なんかじゃない。

「……肋角さんが、この程度でお前に失望する程、器が小さいと思うのか?」

 強いて言うなら、俺達はいつも、あの人の役に立ちたくて仕方ない。そこだけが少し似ていた。






「谷裂、帰ったか」

 執務室の窓から外を見ていた肋角さんが、こちらに気付いて振り返る。煙管から漂う紫の煙を揺らす勢いで「ハイッ」と大きく返事をして、背筋を伸ばした。そんな俺を見て肋角さんが目を細める。

「御苦労だった。急な任務変更ですまなかったな。…はどうした?」

 この報告の場にいるはずの人物を俺の隣に探して、肋角さんは少し表情を変えた。今回の任務で俺はあくまで補助だ。報告に来るのはが相応しい。あいつが肋角さんへの報告を怠った事など一度もなかった。当然、肋角さんも不思議に思う。俺は視線を外さず、正面だけを見据えていた。不意に背中がまた熱くなった気がした。嫌に残っていた。あの感覚が。
 何も答えない俺を見て悟ったのか、肋角さんは少し視線を落とした。これではいけない。俺は報告をしなくてはならんのだ。きちんと、正しく、伝えると決めた言葉を…、直前まで迷いに迷った、言葉を。

「…やはり、今回の亡者は一筋縄では行かなかった様だな。には無茶をさせた」
「いえ、奴は無事です。少し掠り傷を負ったくらいです。先程佐疫がそれを大袈裟に心配して、医務室に連れて行きました。報告が遅れる事を心配していたので、俺が代わりに此処へ」
「…そうか」
「ハイ。件の亡者も、俺が到着した時には片付いていました」

 どうして俺が肋角さんに嘘の報告をしないといけないのか。ぐつぐつと腹で煮え立つものがあったが、その熱も背中に残った熱さには勝てなかった。耳には奴の、「肋角さんには言わないで」という震えた声が残っていた。首元には奴の腕の感触が残っていた。油断すれば我慢ならず、歯がぎりぎりと音を立ててしまいそうだったが、なんとか堪えて涼しい顔を貼り付けていた。

「…それなら良い。も、強くなったな」
「……、…お言葉ですが」

 涼しい顔を、していた。していたはずなのに、肋角さんの最後の一言にぴくりと眉が動く。お言葉ですが、という俺の声に驚いたのは肋角さんではなく自分の方だった。肋角さんは一つまばたきをすると、「どうした?」と俺に尋ねる。言葉の続きを促される。責める色はない。ただ、尋ねた。
 お言葉ですが、あいつは、は、

「……いえ、なんでもありません。今回の任務は無事完了しました。では、失礼します」

 これでもかというほど深く頭を下げる。執務室の扉を閉める直前に、「お前は本当に正直な奴だな」と声がした。
 俺以外誰も知らないのだから、知らないままの方がいいのだろう。あいつの弱さを。(肋角さんも、知らないのだろう。味わうことはないのだろう)(この背中の、焼かれるような熱を、知ることなど、)




いじっぱりな




劣情






「佐疫」
「ああ、谷裂。報告は終わった?お疲れ様」
の様子はどうだ」
「傷はちゃんと再生してきているよ。ただ、疲れちゃったのかな。ぐっすり眠ってる」
「…ふん。ならいい」
「谷裂もゆっくり休ん、」
「佐疫」
「え、何?」
「前に、俺とが似ていると言ったな」
「あー…言ったような。それがどうかした?」
「どこが似ているんだ」
「え…うーん…」

「俺はあいつのように頑固では」「頑固な所とか?」

「……」
「…」
「佐疫」
「いや、ごめんごめん。冗談だよ。ストイックな所っていうか…頑張り屋な所、かなぁ」
「……」
と何かあったの?」
「いや、何もない」
「そう?」
「ああ。何も無かった」
「谷裂、肩…か、背中?怪我でもした?さっきからさすってるけど」
「何も無かったと言っている」
「ふうん?それなら、いいんだけど」