ラブソングを歌え!
館の食堂の、一番隅の席。既に他の獄卒は食事を済ませていて、姿はない。は一人、余り物で適当に腹を満たしていた。と、いうのも、先程仕事から帰ったばかりだったからだ。今日は少し遅い時間になってしまった。へまをしたわけではないし、仕事ができないわけでもないけれど、彼女には少しマイペースなところがある。のんびりと帰宅して、もう皆寝静まっているかもしれないという時間に、静かに一人、食事をしていた。
そんな量で足りるのか、と一部の獄卒が見れば首を傾げそうな量の米粒を残さず綺麗に口に運び終えると、箸を置き、無言で両手を合わせて「ごちそう様」をする。食器を片付けるのも後回しに、は服のポケットからイヤフォンと小型のデバイスを取り出す。頬杖を突きながら、テーブルの上に置いたデバイスを片手で操作し、やがて両耳にイヤフォンを装着した。イヤフォンのコードの先は、デバイスに繋がっている。そのまま、目を閉じる。音量は少し大きめ。その方が、曲の持つ世界の中に入り込める気がするから。
「……あれ。ごめん、気づかなかった。いつからいた?田噛」
どれくらい時間が経っただろう。ふとが顔を上げると、テーブルを挟んで向かい側に、いつの間にか田噛が座っていた。音楽に夢中なあまり、他人が話しかけて来たことに気付かないのはしょっちゅうだ。ごめん、と謝りながら耳からイヤフォンを外し、は田噛の顔を見る。田噛は片肘をついて、じ、とを見ている。耳を塞いでいたものを取り外し目を合わせても、「いつからいた?」の返事は聞こえなかった。
「ご飯ならもう食べちゃった。何も残ってないよ。ごめんね」
てっきり、腹を空かせて一階の食堂に降りてきたらちょうど食事している人物を見つけて、何かつまめると思って皿の中身を覗きにやってきたのかと。しかし違ったらしい。田噛は黙ったまま勝手に、がテーブルの上に出していたデバイスに手を伸ばした。何を考えているのかいまいち分かりにくいその表情のまま、慣れた様子でその機器を操作する。は文句も言わず田噛の指をしばらく眺めていた。
のデバイスに入った曲のプレイリストに目を通していたらしい田噛は、とある曲を見つけると、指を動かすのをやめた。その曲名の上を、トン、と指で叩き、顔を上げてを見る。
「このアルバムは三曲目が一番良かった」
外したイヤフォンから、音が洩れている。は目の前の相手の顔を見つめ返して、少しの間だけじっと確かめるように見つめ合って、口を開いた。
「田噛、好きなの?こういうの」
イヤフォンから微かに聴こえるその曲が、二人きりの静かな夜のBGMだった。
最近自分が気に入っている現世の音楽バンドを、どうやらも好きらしい。そう田噛が知ったのはつい先日のことだった。
べつに本人の口から聞いたわけではない。たまたま佐疫から聞いたのだ。
休日、首にヘッドフォンを掛けていたところ「そういえば田噛っていつもどんな音楽を聴いてるの」と佐疫に話を振られた。クラシックを好むイメージが強い佐疫に言ったってどうせ分からないだろう。そう思いながらもとある現世のバンドの名前を田噛が口にすると、意外にも佐疫は「ああ!」と明るい反応を見せた。「いや、この間からもその名前を聞いたから」そう続いた佐疫の言葉に、田噛にしては珍しく、驚きを素直に表情に出した。
田噛の中で、という女は少し他の女とは違っていた。というか、良くも悪くも、「女」という感じがしない。喧しくもないし、非力そうでもないし、他者に媚びることもない。話しかけられれば友好的に応えるが元々の口数は少ない方で、単独行動を好んでいるのか、あまり集団でいるイメージが無い。よく、離れたところでイヤフォンをしている。長い睫毛を伏せて、自分だけの世界に籠る姿を、田噛はよく、遠目に見ていた。
そう。あまり認めたくはなかったが、田噛は気になっていた。「何を聴いているんだ」と、ただ一言尋ねてみたかった。たった一言尋ねるだけでいいのに、何故かそれがずっとできなかった。だから佐疫からの好む音楽の情報を得たときは、よし、と思うのと同時に、少し腹立たしくもなった。自分が口にできずにいた質問をなんで佐疫はいとも簡単に聞いてしまうんだか。
「きっと田噛と、話が合うと思うよ」
そんなのは分かっている。きっとそうに違いないと、そうであったらいいと、田噛はずっと心の端で思っていた。自分がを目で追っていること、誰にも気づかれたくはないけれど。本人にだって気づかれてほしくはなくて。だけど本音を言うなら気づけと思っていて。
つまるところ田噛はどうやって「さりげなく」、に近付こうかと、いや自分から近寄るというのがどうしても癪なのでできれば向こうから近付いて来やしないかと、今日も今日とて作戦を練っていたのだ。
「へえ、なんか嬉しいな。このバンド知ってる人に会ったの初めてだ」
作戦は大成功だった。正確に言えば、ごちゃごちゃ考えたところであまり意味がないのでとりあえず行動してみて後は雰囲気に身を任せるぞという作戦が上手くいった。の帰りが遅かった日、食堂で二人きりになるチャンスが訪れた。イメージトレーニング通りの話しかけ方は出来なかったことに対し自分で自分自身に舌打ちしたい気持ちは拭えないが、目の前であのが自分に向かって嬉しそうに微笑んでいる。それだけでまあ、成功だった。
「そりゃあな。他の連中でコレ聴きそうな奴なんかいねーだろ」
「あはは、そうかもしれないけど。でも田噛が知ってるとも思わなかったよ。田噛、いつもどんなの聴くの?他に好きなバンドとかある?」
「あー……そうだな」
同じ質問でも、佐疫に訊かれたときとは大違いに、田噛の内心は浮かれていた。浮かれているという事実を認めたくはないし悟られないようにと顔には出さないが、自分が聞きたかった質問を向こうからしてきたのだ、浮かれる。田噛は、のデバイスを勝手に操作しながら、その端末に入っている曲たちを見る。見れば見るほど、田噛の内心は浮かれ続けた。面白いくらいに、本当に予想以上に、自分の知っている、自分の気に入っている曲がそこには入っていたからだ。
「お前がこの中に入れてる曲、大体わかる」
「え、ほんと?」
「……いい趣味してんな」
この良さが分かるなんて見る目あるな、さすがわかってるな。そんな謎に自慢げで、偉そうな発言だと笑ってくれたってよかったのに、は目を細めて、
「じゃあ、気が合うのかもね。わたしたち」
そう微笑んだ。田噛が口を噤む。ここは自分のイメージトレーニング通りだった。自分に都合の良い幻覚かと疑うくらいに。音楽の話できっかけをつくって、なんだ自分たち趣味が合うね、気が合うね、なんて言葉をかわす。そしてそれから、少しずつ話す機会が増える。オススメの曲を紹介しあったり、語り合ったり、親密度が高くなっていく。そんな計画、想像、いや妄想というべきか、とにかくそんなものが田噛の中にあったのだ。ずっと。
「田噛のおすすめとか好きな曲、もっと知りたいな。これからもたまに、二人で音楽の話しようよ」
が、自分の目をまっすぐに見て、そう言ってくる。これはもう、浮かれた。心臓のどこかが聞いたことのない悲鳴を上げた気がした。イメージ通りだ計算通りだと内心フフンとしたいところなのに、どうしてこんなに自分はバカみたいに余裕がないんだ。調子が狂う。そう思いながらも、の微笑む顔を見て、やっぱり浮かれた。
「ねえ、あのバンド新曲出るでしょ、来週。現世のCDショップ、一緒に行かない?」
その誘いを田噛が断るわけが無かった。だが前のめりに即答しても格好悪いと妙な見栄の張り方をして、「あー」と適当に間を空けてから、「まあいいけど」と可愛げのない返事をあえて返す。今日は一緒に食堂で朝食を摂っていた。田噛の向かいの席で、特に気に障る様子もなくは笑って、「やった」と小さく喜ぶ声を上げた。それを耳に入れると、田噛は顔を逸らす。は?喜ぶのかよ、なんだその反応、調子狂うだろうが、と八つ当たりのような文句は、心の中に留めることができた。
「ああ、あとイヤフォンも新調したいかな。ずっとポケットに入れてたんだけど、この間ちょっと戦闘になったときに落としちゃってさ。次の日探して見つけたけど、ぼろぼろになっちゃってたよ」
「……お前、すげー安っぽいの使ってたよな。次買うなら多少音質も気にしろよ」
「えぇ?あんまりそういうの詳しくないんだよなー。今回みたいに仕事中とかで駄目にしちゃったら高いの買ってももったいないし」
「仕事時持ち歩く用と普段用で分ければいいだろ」
「あ、なるほど?じゃあ田噛、良さげなもの選んでよ。わたしに。田噛の選んでくれたやつなら、無くさないように大事にすると思うし」
なんか、ずるいなこいつ。絶対無自覚で深い意味なんて無いのが腹立つ。田噛はそう思いながら箸を動かす。しかし自分が選んでやったものを、が身に着けるということは、おそらくとても気分が良いものなのだろう。想像する。佐疫や木舌あたりは目ざとく気づいて「イヤフォン新しくしたんだ?」なんて声を掛けるかもしれない。そのときにが言う。「そう、かっこいいでしょ。田噛に選んでもらったやつなんだ」なんて、他の男に対し自分の名前を出して、笑って。
そこまで想像したところで、ム、と眉を寄せて渋い顔をする。何を浮かれているんだか。そもそも、自分の期待通りのそんな台詞を口にしたとしても、どうせにとってやはり深い意味は無いのだ。
「どうしたの?今日のメニュー、苦手なものあった?」
が不思議そうに顔を覗き込んでくる。どうやら、田噛のその表情が、苦いものでも食べたような顔に見えたらしい。べつにそんなことはなかった。家政婦のキリカの作る食事に外れはない。だが、少しこちらに身を乗り出して、小さく内緒話をするようにが「食べてあげよっか。わたしの皿にのっけていいよ」と囁いてくるものだから、なんだか、「違う。なんでもない」でこの話を逃すのも癪な気がしてしまう。じ、と田噛はを見る。悪戯っぽく笑われた。
「じゃあこの人参と、お前のそのソーセージ交換な」
「え~、交換とは言ってないのに……あははっ!でもいいよ、あげる」
わざと理不尽な取引で茶化してやったのに、笑っては皿の上のソーセージを自分の箸でつまみ上げた。予想に反して快諾されて、「いいのかよ」と思わず田噛がツッコミを入れるけれど、は機嫌よく笑っていた。
「買い物に付き合ってもらうぶんの、前払いね」
の箸は田噛の皿にソーセージを着地させると、代わりに人参をつまみあげて自分の皿に攫っていった。田噛はそんな彼女を見て、また胸を落ち着かなくさせる。調子が狂う。
ふと少し遅れて食事にやってきた木舌が、二人の様子に気付いて声を掛けてきた。
「おはよう、二人とも。最近仲が良いね。一緒にいるところをよく見る気がするよ」
「おはよう。そうなの、今度二人で現世へ買い物に行くんだ。新しいイヤフォンが欲しいんだけど、それも田噛に選んでもらうつもり。ね?田噛」
そうなのわたしたち仲良しなの、と、普通もう少し恥じらいを含ませて返してもいいはずの台詞を、まったく恥じらう様子もなく、は口にする。絶対木舌だって、多少からかう思惑で声を掛けたはずだ。そんなの全く気付かない様子で、は笑っている。木舌もなんとなく察したように、ちらりと一瞬だけ田噛の方を見てから、「そうなのかい、それはいいね、楽しんでおいで」なんて返している。望んだ通りの「他の男に対し、自分の名前を出して楽しげに話す」のはずなのに、田噛は面白くなさそうにツンと視線を逸らして、ソーセージに齧りついた。
「わ、こっちも新しいアルバム出してたんだ。買っちゃおうかなぁ」
ショップの新譜コーナーの棚を二人で見て歩く。新譜以外にも、店員のオススメだの、定番のランキングだの、一通りを見てまわる。話すうちに分かったことだが、は本当に幅広いジャンルの音楽が好きなようだった。主に好むのはロックではあるものの、最近のものに限ったわけではなく、一昔前の、日本に限らず海外の曲も聴くようだったし、それでも「有名どころしか分からないけど」と照れくさそうに頬を掻いていた。あまり自分より詳しいと困るからそれぐらいでいろ、と田噛は内心思っていた。「話が合う」というポジションを確立していたいからだ。「そっかコレは田噛も知らないかぁ」なんてガッカリされたらたまったものじゃない。
いや、恐らく彼女の性格上、がっかりはしないだろうが。目を輝かせて「これおすすめなんだよ!聴いてみて」とは言うかもしれない。「わたしの好きなもの、田噛にも好きになってほしいんだ」くらいは言うかもしれない。またきっと、他意はなく。こちらを無自覚に喜ばせるような。
想像して、田噛は眉を寄せた。また渋い顔をしているかもしれない。最近気づいたけれど、これは自分がニヤケないように無意識にやってしまうことのようだ。深い意味なんてこめずに言う台詞だろう、と、そこまでちゃんとわかっているのに、わかっているくせに勝手に自分の顔はにやけそうになるのだから格好悪い。といると、妄想癖が出て困る。こんな顔を見られてたまるか。
「いやー、いい買い物しちゃったな。帰って聴くのが楽しみ。ねえ、田噛が買ってたやつってインディーズなの?わたし知らないや」
「……聴いて良かったら貸してやる」
「やった、ありがと。でも、もし田噛が良くなくても貸してほしいな」
「お前、節操なさすぎ。なんでも聴きすぎ。聴くに堪えないハズレに当たったことねーのかよ」
「あはは!ないかも。なんかさ、人間のやってる音楽自体が好きなんだよね。上手いとか下手とか分かんないし、あんまり気にしてないかも」
「ふーん」
「あ、がっかり?見る目あると思って仲良くしてやってたのに、ってなっちゃう?」
「べつに。いいんじゃねーの、それで。俺は下手なバンドは下手って言うけどな。お前が気に入っても」
「あははっ!いいよー、全然。怒んないよ。田噛がどう思うか、感想知りたいし。いろんな曲。あ、今度いろんなCD持ち寄ってふたりで討論会しよう」
「なんだそれ」
「朝まで大激論?ってやつ。あははっ」
最近気づいた。は意外に、よく笑う。笑うときには口を開けて、あはは、と笑う。親しくなる前は、イヤフォンをさして一人で音楽を聴いている姿しかあまり印象に無かった。田噛だけでなく、恐らく他の獄卒も、「あの子はひとりで静かに過ごす方が好きなタイプなんだろう」と思っていた。は意外によく笑うし、よくしゃべる。
「あとはイヤフォン買って帰るだけだね。思ったより早く帰れそうで良かった」
「……は?」
「え?」
田噛の「は?」という驚愕の声に、は目をぱちくりさせた。いや、間違いではない。目的は本来、確かにそれで終わりだけれど。モヤモヤとしたものが田噛の胸に渦巻く。本当に、用事を済ませて、それだけで帰るつもりだったんだろう、は。さっさと帰って買ったCDを開封したい、とも思っているのかもしれない。
けれど普通、「ご飯でも食べていこうか」くらいなってもいいんじゃないのか。自分がどれだけ「今日」の計画を練ったと思っているんだ。人の気も知らないで。いや、本当に、自分だけだ、浮かれていたのは。あんまりにも思いっきり「脈が無い」というのを突き付けられたようで、田噛は露骨に機嫌を損ねた。
「早く帰らなきゃいけねー理由でもあんのかよ」
「え?いや、ないけど……」
「なら付き合え。腹減ってんだよ、俺は」
「え……ああ!ご飯か!あ、そうだね。せっかくこっちに出てきたんだし、珍しいもの食べたいね」
ぽん、と手を叩いて納得の表情を見せるに、田噛との時間を面倒がる様子はない。ただ本当に、そんなこと思いつかなかった、みたいな様子で。それがほっとするような、やっぱりモヤッとするような、なんともいえない気持ちにさせる。田噛の機嫌が少し傾いたことに気付いたのか、が慌てて、「ごめん、田噛」とその肩を叩く。
「普通、そうするものだった……よね? ほら、わたし、あんまり誰かと遊びに出かけることってなくて。そういうの、わかってなくてごめん。怒らせたかな」
「……あ?べつに怒ってねーよ」
「そっか……よかった。ありがとう、田噛!田噛としかこういうことできないや。今日は一緒に出掛けてくれて本当にありがとう」
心底ほっとしたように、嬉しそうに、田噛にむかって微笑む。ぐ、と眩しさに呻くように田噛が唇を噛んだ。悪意ゼロ、他意ゼロ、脈もゼロ。どうせ言葉通りの意味だ。特別っぽく言ってるけれど、「そういう意味」ではない。わかっているのに騒ぐ心臓が恨めしくて、田噛は舌打ちしそうになる。
「そーかよ。なんでもいいが、俺の行きたい店と食べたいもんに文句言わずに付き合えよ」
「うん、もちろん。わたし、お店とか詳しくないから助かるよ。田噛ってなんでも知ってて凄いな」
「……あ、そ」
「そうだ!ねえ、田噛」
ふいに、距離を詰められた。自分の顔のすぐ近くに、の吐息を感じる。ぴしり、と田噛が固まったのなんてお構いなしに、は彼の耳元で内緒話をするように囁く。
「料理の中に人参入ってたら、わたしが食べてあげるね」
食堂での内緒話をされたときとは違う。二人の間にテーブルを挟んでいないし、向かい合っていなくて隣にいるし。耳に息が、かかるし。なにも言えなくなっている田噛の横で、は嬉しそうに、楽しそうに、残りのふたりの時間に思いを馳せていた。
「あ、すごい。おっきいスピーカー。あ、ギターもある!」
お邪魔します、と挨拶するなり部屋を興味津々に見渡す。田噛がをこうして部屋に招いたのは初めてだった。適当に座れ、と促されて、その通りに腰を下ろす。そして持参したいくつかのCDを広げてみせた。今日は二人で音楽鑑賞会だ。最近は休みを二人で合わせてとることに、周囲も茶化さなくなってきた。二人の仲を察して……だとありがたいが、残念なことに、今日も今日とて田噛のひとり相撲に近かった。
「わあ、なんだかわくわくしちゃうな。わたし、普段ほんとに、イヤフォンでしか音楽聴かないから。かっこいいな、スピーカー。わたしも買おうかな」
男の部屋にノコノコやってきて、警戒心など欠片もない。それは田噛に対して気を許し切っているからだ。いっそ今すぐこの場で押し倒してやろうか、と頭の隅で思うけれど、どうせ行動に移すことはないのだと自分でわかっていた。だが本当に、それくらい強硬手段に出ないと一生この関係のままではなかろうか。
悶々とそんなことを考えつつも、適当な音楽を部屋に流してやる。おおー、と小さい歓声を上げて、聞き入るように目を閉じるを見てしまうと、ごちゃごちゃした考えを横に置いて、「まあいいか」になってしまう。田噛はに弱かった。
「……このバンドさ、こういう恋愛ソング歌うの珍しいよね」
「そうだな。いつももっと尖った曲が多かった」
「なんかね、ブックレットに載ってたけど、ボーカルの人が付き合ってる彼女に向けて書いた詞らしいよ」
「ふーん」
「そう思って聴くとさ、なんかいいよね」
「そうか?一気に寒くなった」
「えー」
「恥ずかしい奴すぎるだろ」
「そうかなあ。彼女嬉しいんじゃないのかなあ」
「ダサい。自分のバンドでやるな。そんなんアルバムに入れて売られて喜ぶんだったら女も女で恥ずかしい奴だな」
「あははっ!あー、なるほどな~。そう言われるとたしかに。ふたりのときに聴かせてくれればいいのにね。相手にだけ聴いてもらえればいいはずだから」
田噛の言葉に、が肩を揺らしてふふ、と楽しげに笑う。自分の言葉で、が困ったり笑ったり、そういう様子を見るたび、田噛の胸の中に積もっていくものがあった。それをに見せてやりたいのに、わからせてやりたいのに、取り出すことも言葉にして伝えることもできない。
「でもさ、愛を曲にできるっていうのはすごく素敵なことじゃない?」
「……そうか?」
「素敵だと思う。わたしが音楽ってものに惹かれちゃうせいなのかな。すごくいいな、うらやましい。わたし、自分のためのラブソングなんて贈られたら、すっごく嬉しいと思う」
「はぁ。そんな恥ずかしいことできるかよ」
「あははっ!田噛にしてほしいって頼んでるわけじゃないよ」
うっかり口を滑らせたと思ったのに、そんなの気にも留めていない返しをされた。悪気なんかないだろうに、これには少し、ぐさりときた。田噛は口をへの字に曲げて、黙る。顔を逸らした先で、自分の愛用しているギターが目に映った。その視線の先を追って、もギターを見る。
「でも、田噛ギター弾けるんだよね?いいと思うけどな。好きな子に好きだよって伝えるために曲作るの」
「……」
「田噛の作った曲聴いてみたい。ね、もし作ったらさ、一番に聴かせるのはその好きな子かもしれないけど、その後わたしにも聴かせてくれない?」
「……作らねーよ」
「えー」
「……」
「うーん……でも、そうだね。もし作ったとしても、その子にだけに聴かせたいよね。さっきその話したばっかりだったのに、変なこと言ってごめん」
本当に、ひとの気も知らないで。田噛はムスッとしたまま、黙り込んだ。馬鹿馬鹿しい。なんでこんなに、いっそわざとかってくらい、自分に向けられた矢印に気付かず無視できるんだ。少し申し訳なさそうに声をしゅんとさせるに、田噛は歯痒い思いを募らせる。
だがふいに、が「あっ!」と大きな声をあげた。ずっと不機嫌な態度をとり続けても気まずいかと、田噛は仕方なしに、そちらを振り返る。
「あ?」
「ちっちゃいチラシ入ってた!このバンド、大型ロックフェスに初めての出演決定だって。よかったねえ」
「……あ、そ。急にデカい声出しといて、それだけかよ」
「だってきっと本人たち嬉しいことだと思うし……へえ、いいなあ。いろんなバンドが出るんだよね」
「……」
「あ、ほら。前に田噛が言ってたさ、わたしも好きなスリーピースバンドも」
「ふーん……」
「へえ、すごいなあ。すごいんだろうなあ、きっと。わたし生で聴いたことないから分からないけど、きっと」
「あー……見せろ」
その手から奪い取った紙に書かれたロックフェスの概要を、田噛は頬杖つきながら眺める。確かに大規模な、有名なフェスだった。野外開催で、きっと観客も多いだろう。ちら、と手元から視線を上げて、を見る。目が合うと、微笑んで首を傾げられた。
「行きたいなら、一緒に行ってやってもいい」
「大雨で途中で中止なんて、ツイてなかったよねえ」
予定よりもずっと早く館に帰って来て、エントランスで頭をタオルで拭きながら、が苦笑する。ただでさえこの時期は台風が多くて、現世のイベントごとはすぐ中止だなんだと大騒ぎする。今日のロックフェスも野外開催だったため、観客席に屋根はなく、それでもしばらく雨の中でライブは行われていたが、本格的な土砂降りになって、急遽中止となった。2days開催だったが、明日も大雨の予報で、恐らく中止ではないか、と言われていた。
「あははっ!田噛、そんなにへこむな~。仕方ないよ、こればっかりはさ」
「……へこんでねえよ」
「えー、うそ。すごく元気なく見える。楽しみだったのにー、って」
そりゃあ、田噛にとってはせっかくに良い格好をしようと、今日のこのロックフェスに誘ったのだ。それが台無しになった。格好がつかない。どうして上手くいかないんだ。思えば最初から、いつだって、田噛は物事をスマートにすすめようと、かっこつけようと、そればかりだった。そしていつも、どこか上手くいかない。カッコ悪いことばかりだ。の前だと。
むすりとしている田噛の頭に、がタオルを被せる。そして犬を撫でるようにわしわしと、その水気を拭いてやる。不機嫌だった田噛が、その距離の近さに何も言えなくなった。
「残念だったけどさ、一番見たかったバンドは見れたし、好きな曲やってくれてうれしかったな」
「あぁ?雨で全然まともに聴こえなかっただろ」
「そんなことないよ。一生懸命歌ってくれてたし。その姿が見れただけでもすっごく胸がいっぱいになった」
思い出して、がうっとりするように目を閉じる。この顔の近さで目を閉じられると、なんとも言えない気持ちになるが、田噛は溜息混じりに「そうかよ」というだけに留めた。恐らくべつに誘った田噛に気を遣っているわけでなく、本当に彼女にとっては満足できる時間だったんだろう。それなら少し救われるものがある。
「獄都にも音楽はあるけどさ、わたしやっぱり、生きてる人間たちの音楽が好きだな。特にああいう、人生かけて命削って歌ってます、って人間たちの音楽が大好き。だからさ、雨とか雷とかで中止でも仕方ないよ。人間たち風邪ひいて、死んじゃったら可哀想だから。わたしたちはまたいつでも行けるけどさ、……たぶん百年後だって行けるけどさ、人間たちはそうじゃなくて、短い今しかないから、命のほう大事にしていいんだよ」
田噛が、少しぽかんと、まばたきを繰り返す。べつに、音楽やら、風邪程度で、人間の命を心配するか、普通。独特な価値観だ。けれど、少し納得もした。細かいことに捉われず、ただ、音楽が好きだ、と話すらしいと思った。
「……あ、でも、この先田噛がわたしと一緒に行ってくれるかは分からないか。今回だけ、って話だったら、やっぱり残念かも。今日中止になっちゃったの」
眉を下げて苦笑するに、田噛は目を瞠って、それから、むすっとした表情に変わった。どうせこれだって深い意味はないんだろう。遠回しな、かつあざとい、「また誘ってほしいな」アピールであったなら、その方がどんなにいいか。
「わたし、チケットの取り方?調べ方?とかよくわからないんだけど、今度教えてくれる?田噛に頼まなくても一人で行けるようにしたいな」
「……」
「だめ?」
「駄目」
「えー……」
「いろいろめんどくせーんだよ。現世でやってるチケット手配すんの。一から教えるとめんどくせー」
「そうなんだ……ごめんね、今日のチケットも無理言っちゃったし」
「やり方教えるのは面倒だ。行きたいのあったら俺が取るから俺に言え」
「……でも、えー……田噛が興味ないかもしれないやつでも?」
「いいから言え。お前、変に危なっかしいとこあんだろ。しょうがねーから一緒に行ってやる」
可愛げのない偉そうな台詞でも、はそれにちょっと遠慮するように「えぇ、でも、でもさ」と口ごもり、珍しくしおらしい様子を見せた。けれどやがて顔を上げて、少し照れくさそうに笑う。「ありがとう、田噛」
「わたし、こうやって一緒に好きなこと楽しめる相手、田噛が初めて。田噛みたいな友達ができて、すごく嬉しい」
ぷつりと田噛の中で何かが切れる音がした。恥ずかしそうに頬を染めて、もったいぶって自分に言う台詞が、それか。たしかにそうだ、最初からコイツの中では「友達」だ。同じ音楽が好きな友達。共通の趣味を持つ友達。買い物に付き合う、内緒話もする、一緒にイベントにも行く、雨に濡れた頭を拭きもする。友達として、だ。友達だってできることだ。自分だってそうじゃないのか。ちょっと共通の話ができそうな相手だったから話しかけてやってみようと思ったのがきっかけじゃないのか。べつに、友達にむける感情だと思えばそう通用するものじゃないのか。音楽の趣味の合う女友達。オススメの曲を紹介し合って、ライブには一緒に行って、あれがよかったこれがよかったと話に花を咲かせて。べつに、それでいいんじゃないのか。自分との関係は。男女の友情ってものもあるんじゃないのか。それでいいんじゃないのか。
いやいいわけがあるか。ふざけるな。それならどう説明できるっていうんだ。の笑顔を見るだけでバカみたいにうるさくなるこの心臓を。
「お前を友達だなんて思ったこと一度もねーよ」
田噛の言葉に、が目を見開き、かなりのショックを受けた顔をした。うろたえて、悲しそうに視線を落として、「そっか、ごめん、わたし一方的に……浮かれちゃってた」と声を震わせる。大きく深く溜息を田噛が吐く。ああもう、そうじゃない。ああもう、どうだっていい。なるようになれ。頭で考えていられるか。どうもこの感情は、自分の頭がバカになる。恋ってやつは、かっこわるい。
「人参も、べつに食えねーわけじゃねーよ。べつに好きでもないが」
「……え?あ、そうなんだ?ごめん…?」
「あの夜お前に声掛けに行ったのも、気まぐれでも暇つぶしなんかでもねーよ」
「そう…なんだ?」
「ただの友達相手に、こんなわざわざチケット取ったり出かける日のイメトレしたり思い通りの一日にならなくてへこんだり他の男にマウントとりたかったり部屋に呼んだり、こんな、『友達だ』って言われてムカついたり、するかよ。しねーだろ普通バカか分かれよ気づけよいい加減」
早口にひと息に、喋った。心臓がうるさい中こんなに口を動かしたのは初めてじゃないだろうか。心臓がうるさいからこそ、それに急かされるように、後押しされるように、口にした。
がひどく驚いた顔で固まる。完全にキャパオーバーな様子に、田噛は居た堪れなくなって舌打ちを零した。頭にかぶっていたタオルを取ってに押し付けると、背を向けて自分の部屋に帰ろうとする。その背中を、の声が引き留めた。
「待って、田噛、あのさ」
「あぁ?知るか。お前もさっさと濡れた服着替えろ、風呂入るなら入れ」
「わたし、田噛のこと友達だと思ってて……」
「……そうかよ、なら」
「でも、違うのかな」
友達としてしか見ていない、見れない、という意味で告げられたと思ったのに。田噛が振り返る。が、じっ、と田噛を見据えていた。
「わたし、田噛といると楽しくて。本当に、田噛との時間が誰と過ごすより一番楽しいんだ。好きなものが合うと嬉しい。一緒に出掛けられるのも嬉しい。一緒に美味しいもの食べるのも嬉しいし、みんなといても田噛が何してるか気になるし、田噛と出かけることみんなに自慢したくなる。田噛がわたしと話してくれると、嬉しいし、ずっとこのままがいいなって思うし……いっしょにいたいし」
「…………は、お前、それ」
「そんなふうに思うの、友達だからだと思ってたんだけど……違うのかもしれない。だって、田噛が違うなら、わたしも違うかもしれないよ。わたし、田噛と同じなのかもしれない。いや、えーと、同じだったら、うれしい」
「……」
「だってわたし、田噛と同じものが好きだと嬉しい」
「…」
「一緒だと思うよ。わたしたち、すごく気が合うんだから」
が、田噛に一歩近づく。もう一歩近づく。
「田噛って、わたしのこと好きなの?」
「…………」
「……」
「…曲」
「え?」
「曲、まだできてねーから、言わない」
それはきっと恥ずかしくて死んでしまいたくなるようなラブソングだ。たった一人にしか聴かせる必要はないし、聴かせられない。
田噛が目を逸らしながら口にした言葉に、は驚いて、それから声を上げて笑って、腕を広げて、田噛に抱き着いた。
「たのしみにしてる!」