「先生!今日という今日は私に心臓をください!!」
「はっはっは。今日も随分と威勢の良いことだ。体調は良好、と」

 なんにも動揺した様子なくいつも通りに口のかたちを歪ませて笑った先生は、こちらに視線もよこさず(目元が隠れているから瞳の動きなんて普段から分からないけど)診断書のようなものにさらさらと何かを書き込んだ。むう、と頬を膨らませ、私は診察用の椅子から腰を浮かせる。前のめりに先生へ顔を近付けた。

「また相手にしてくれない!私、本気ですから!」
「もちろん、君のその熱心さを本気にしていないわけではないとも」
「本当?じゃあ私にあなたの心臓をちょうだい!」
「一応理由を聞いておこう」
「だってドラゴンの血って凄いって聞いたんだもの。万能薬になるんだって」
「……なるほど。君はそれが君自身に必要と思うかね」

 さっきまで聞き流しているように思えたけれど、この質問のときには先生がこちらを見た。向き合った。普通の診察みたいだ。先生と患者って感じ。いや事実、私は患者だ。随分長いことこの病院に通っている、患者の一人だ。
 私は診察用の椅子にお行儀よく座り直す。きちんと、患者だ。

「必要です。ぜったいに必要です!」
「ほほう。自身の病名も、症状も、何も分からないというのに」
「そうです。でもわからないって変だもの。覚えてないっておかしいもん。だからそれも含めて病です」

 そう、そうそう。最初にこの病院にやってきたときのことが思い出せないのだ。どこかが痛いとか、何かが調子悪いとか、きっとそういう理由であったはずなのに。気付いたらそれからずっとずっと定期的にこの病院に訪れていた。だけど自分がどうして病院にきているのか分からない。先生に「その後の調子はどうかね」と聞かれ、「私ってどこが悪いんでしたっけ?」と聞き返したら、先生は笑って「それは君次第だ」としか言わなかった。だから私はずっと病院に来ている。「よくわからないけど、治ってるのかもよくわからないから」、病院にやってきて、先生の診察を受けている。最初はよく診察中傍についてくれていた婦長さんも、最近は私の顔を見ると微妙にめんどくさそうに「先生がお待ちですわ」と言うだけで診察室に入って来なくなった。「こいつ、どこもおかしくないのにまた来たな」とか思われてるのかもしれない。誤解だ。だってなんかモヤモヤする、それで病院に来てしまう、というのもきっと何かしらの病気だもの!

「万能薬ってことは何にでも効くってことでしょう?きっとそれをこう、浴びるほど飲むなり塗ればなんでも治るんじゃないかしら。私のこのよくわからない原因不明かつ正体不明の病も!」
「ふむ。面白い推察だ」
「だから私、先生の心臓が欲しいんです!それさえ手に入ったら、全部うまくいく気がするんです!私がずっと欲しかったのはきっとそれなんです!」
「なるほど」
「はい!」
「では仮に私の心臓を今ここでくり抜いて、君の眼前に差し出したとしよう」
「はい!」
「次に――君はどうするかね?」
「え?うーん……」

 そう言われると?具体的に考えると?
 必要なのは血液なんだし。そうすると……どうすればいいんだ?心臓にこう、ぶすっと針でもさせば血はぴゅーっと出るんだろうか。それをコップで受け止めて……いや、でもそれを今ここで、差し出されてすぐにするかしら。もっと段階を踏む。細かなイメージトレーニングをする。まず、心臓の新鮮さとかを確かめて、それから、いやいやでもまずは、ええとええと、そうだなあ。
 顎に手をあてて、ううむと唸る。考えれば考えるほど考えすぎてしまう。その間にも特に文句は言わず、茶々も入れず、先生は私の答えを待ち続けていた。

「まずとりあえず……も、持ち帰ります!」
「ふむ」
「うーん、なんていうかこう……私のものにします!」

 そう、そうそう、使うのはそのあとでいいはず。心臓から血液を摂取するにしても、煮たほうがいいとか焼いたほうがいいとか絞ったほうが良いとかあるかもしれないし。よく調べてから。

「その後に、よく見たり、触ったり、血を飲んだりしますから!」

 うんうん、と自分の発言に自分で納得するように頷く。先生は変わらず私を見て、「ほう」と一言声に出した。なるほどなるほど、という意味のこめられていそうなその声。そして彼はまた軽く手元の書類に書き込むと、何かを思案するようにしばらく口元に指をあてて黙り込んだ。

「そうか……ふむ、なるほど。で、あれば……」
「心臓くれるの?」
「なに、そう急くものでもない。想像する、思考する、というのも一つの治療法だと思わんかね」
「はあ……つまりどういうことですか?」
「想像したまえ。君がそこまで欲する私の心臓を」

 そう言うと、先生が急に私の手を取った。手首のあたりを掴んで、そのまま自身の胸元に導く。突然のことに、私は目をぱちくりさせて、先生に掴まれている自分の手と、先生の顔を見比べた。私の手とはずいぶん大きさの違う手が重ねられている。医療用の手袋をしているから、直接その皮膚を知ったわけではないけれど、手袋越しにでも感じてしまう。自分とは違う、異形の気配みたいなものを。

「まず……色は?どんな色を想像する?」
「え……」
「赤黒い、いや目に痛い鮮やかな赤を想像するだろうか。それもいい」
「えっと……」
「大きさや形状は?ヒトと同じと思うかね?」

 片手で私の手のひらを自身の胸に押し当てたまま、もう片方の空いた手で私の目元を覆った。困惑している間にも、椅子が軋む音がして、気付けば耳元で先生の声がした。一瞬で息がかかるほどの距離に近付かれたことに、ビクリと肩が震える。驚きか、恐怖か、他の感情かは分からない。どきどきと胸が音を立てる。

「おや、君の心臓は随分と元気なようだが……さて、私のソレはどうだろうか」
「ま、待って!先生!いったん……」
「想像するだけでいい。血管の太さを感じ、浮き出た筋を指でなぞる想像を」
「いっ……」
「ドクドクと脈打つ様はまるでそれが一つの生き物のように感じるだろう」
「せ、せんせ」
「血を飲みたいと言ったかね。ならばそうだ、それを味見に舐めてみるのもいい。筋張ったその部分を君の舌で撫であげると」
「わーーーっ!!やっぱりいいです!!いらない!いらない!!」

 本来であれば、理想なら、いや普通、こういう場面であれば。どん!と力いっぱいその胸を押しやって距離を取ることができるはずなのに。直接舌をねじ込むように耳元に纏わりついてくるその声を払おうとしても、先生の体がびくともしない。それどころかますます愉しげに悪魔みたいな声が耳元で笑った。

「欲しいと言ったのは君の方ではないかね?何を今更拒むことがある?」
「そっ、そういうんじゃないですもん!そういう意味なんかじゃない!」
「ほう。では一体どんな意味が含まれているのか、私に話してみるといい」
「だからっ、そっ、そんな、えっ……えぇっ……!?」
「私も、この心臓が君のものになる想像はとても愉快だ、ああ本当に、実に興味深いことだ」


「ハートが欲しいとは恐れ入る」