「気分はどうかね」
「最悪です」

 通常であれば患者が先生の診察室に足を運んで診てもらうことが多いけれど、私の場合は違っていた。先生はわざわざ私の病室までやってきて、そして机の上に置かれた花瓶を見る。(目元なんて分からないけど、まあ、多分、見たのだろう)お見舞い用、というわけではなかった。否、本来の目的はそうだったのかもしれないけれど。

「今日は赤い花か。さて、君にとって食欲をそそる色かどうか」
「看護婦さんが置いてくれました。昨日と色違い。庭にでも咲いてるんですか?」
「いや、恐らく好みの問題だろう。わざわざ花屋で買ってきたはずだ」
「はあ。それはどうも、お手数をおかけしまして」
「何、病院食の提供も当然の仕事だとも」
「花ですけどね」
「今の君にとっては食事だと思うがね。花食症の患者とは珍しい」

 先生が花瓶から花を一本抜き取り、すっと優しく私に差し出す。傍から見れば、まるで恋人が一輪の花を贈る光景のように見えるのだろうか。わざと恭しくそれを受け取って、茎の部分を指であそばせてくるりと回す。花びらが躍った。綺麗だとは思う。けれど、べつに美味しそうだとは思わなかった。

「それで、その、花しか食べられない病気?」
「そうとも。花しか口にできない。食べなければ飢えていく。だが食べ続ければそのうち、体には葉が生え、自分自身が花になってしまう。そういう病だ」
「治るんですよね」
「治したいかね?」

 私は花から顔を上げて、先生の方を見た。表情らしい表情は分からない。かと思えば、にっこりとおそろしく笑った。大きな口に、鮫みたいなギザギザした歯。にっこり、なんだか、ニッタリ、と嫌な笑いなんだか。私は不機嫌を隠さずにそれを睨む。

「いや、何。その病を気に入って、治さないでほしいと言ってくる患者もいるものでね」
「どうして気に入るんでしょう」
「美しい病じゃないか」
「嫌ですね、私にはさっぱり。恐ろしい病気です」

 私はもう一度視線を手元の花に移す。

「私、花になるなんてまっぴら。だってきっと私から綺麗な花なんて咲かないもの」
「そんなことは。だがしかし、興味深くはある。君がどんな花を咲かせるのか」
「……先生、面白がってませんか。まさか、花になるまでわざと治さないつもりじゃないでしょうね。医者失格ですよ、とんだヤブ医者じゃない」
「いやいや、そんなつもりはないとも。美しい病だと思ってしまっているのは本当だがね」
「先生ったら……」
「だからこうして、君の病室に足を運んでしまう。私は君が花を食するその光景が、ひどく美しいものに思えて仕方がない」

 なあ、君。どうか今日も私の目の前で――みせてくれないか。
 先程やけに意味ありげに渡されたその一輪にこめられた彼のその、なんともいえない劣情に、ぞくりと背筋が震えた。なんてひとだ、そんなの患者に向ける情ではないでしょう、と。そう罵ったってよかったのに、私は何も言わず、その花を唇に寄せた。吸い込んだ香りにくらりとする。花びらの一枚を啄むと、不思議な心地がした。先生が、「みている」のが分かる。私はそちらを見てはいないのに。目元なんて見えやしないのに。何故かしら、わかる。

「……甘い。昨日は、そんなふうに思わなかったのに」
「ほう……、そうかね」
「はい、とても。おいしい、かも」

 花びらの一部が欠けた花を、私は先生に向かって差し出す。先生が私にやってみせたのと同じ。恋人に贈るように。「先生も、いかがです?」
 表情なんて分からなかった。先生が、驚いているのか、笑っているのか。よくわからない。否、口元はいつだって笑っているけれど。なぜだか急に、見たいと思ってしまった。その口の中で、優しくなさそうな歯の先で、この花びらがぐしゃりと歪むところ。
 ああ、そしてこうも思う。私このまま「花」になってしまうなら、毒のある花がいい。きっと綺麗な花なんかじゃないけれど。だけど貴方、きっと食べてしまうでしょう、私のこと。なぜかしら、わかってしまう。