「あ、あの、災藤さんっ!」
呼ばれた声に、長身の男が廊下を振り返る。振り返った先にいる声の主を確かめて、災藤は優しげに目を細めた。「おや、。私を探していたの」耳に心地良い穏やかな声。その声で名前を呼ばれるだけで、少女はうっとりと頬を染めるのだ。、と呼ばれた彼女は災藤の傍に駆け寄ると、少し興奮気味に、あの、あの、と言葉を探す。おしゃべりはあまりうまくない。それは分かっている。分かっていても、どうしても、話したい。たどたどしい様子に、災藤が自身の口元に手を添えてくすっと小さく笑う。
「報告なら肋角から聞いているよ。今回の仕事は大変だったでしょう。よくやったね」
「…っ、は、はい!ありがとうございます!」
「本当に。お前は優秀で助かっているから」
「いえ、あの、上司に恵まれての結果といいますか、その…私の力じゃなくて……、…」
おどおどしながらも災藤の目を見て話していたが、徐々に声を小さくして、視線を下降させて、最終的にはすっかり俯いてしまった。災藤はそれを、やはり目を細めて、見ている。そわそわと落ち着かなく、が髪を耳に掛けた。林檎みたいに真っ赤になった耳が晒される。それを、災藤は眺める。まるでそれを啄むときの甘い香りと味を想像するように。口元が僅かにカーブを描いた。
「……さ、いとうさん、あの…」
「なあに。ゆうっくりでいいから、言ってご覧」
躊躇うように震えていた指が、災藤の服の端を掴む。弱々しく…というわけでもないようだ。きゅうっと明確な意思を主張するように、指先だけは力を込めて、が顔を上げる。真っ赤になって、瞳だって潤ませて。けれど、貪欲に、「欲しがる」顔をして。
「…ごほうび…欲しい、です……」
ああ、と口元の笑みが濃くなるのがわかった。それでも今更その妖しい笑みを、災藤は隠そうともしない。
「こ、この前くれたものと…同じの……」
「……そう」
そんなに気に入ったの、とからかうように囁いて、彼の手がの頬を撫でる。手袋に阻まれてその肌の温度を知ることは叶わないけれど、そんなことはもうどうだって構わなかった。速まる鼓動に急かされるように、は自らぐっと首を持ち上げて災藤を見上げ、つま先だけで立って背伸びをする。きゅっとその指先は災藤にしがみついたまま。普段の大人しく遠慮がちな少女からは想像もつかない。「はやく欲しい」といわんばかりの。そのいじらしい様を、ぞっとするくらいの「優しい」笑みで見下ろして、災藤は彼女の顎に手を添えた。
「……ん…っ」
唇が重なる。目を閉じたまま、その感触を味わう。ぞくぞくと背中を走る、背徳感に似た何か。すぐには離れていかずに、角度を変えて何度か確かめるように口付ける。ああ、「この前」と違うな、と熱に浮かされたようにぼんやりする頭では思う。この前より長くて、この前よりも幸せだ。あのときはびっくりして、頭が真っ白になって、部屋に戻ってからも何も考えられなくて。だけどずっと、あのときの感覚が忘れられなかった。何度も何度も思い出した。――もういちど、欲しくてほしくてたまらなかった。(どうして災藤さんがあのとき「これ」をくれたのか分からなかった。ただ、「ご褒美」だと言った。だからこれは、ただのご褒美だ。いけないことをしてるわけじゃ、なくて)(深い意味なんて、考えなくていいもの)
つま先が震えて、立っていられなくなりそうになった頃に唇が離れる。ふらつく体をそっと支えられて、顔を上げた。の目には、いつもと変わらない、優しい上司の顔が映っている。
「災藤さん、私…っあの、これからもお役に立てるように頑張ります!だから…」
「……」
「その……また、お役に立つことができたら、そのときは……ごほうび、くださ…」
浅ましい、口にするのも本来憚られる願いのはずなのに、留めておくことができない。一度味わってしまえば、もう、取り返しのつかないくらい、それを求めてしまう。麻薬みたいだ。どうしてこのひとは「それ」を、自分に教えてしまったのだろう。頭の端でそう思っても、次の瞬間にはそんな疑問はどこかに吹き飛んでいた。耳朶にキスを落とされての肩が跳ねる。彼女を見つめる上司は、やはり目を細めて笑う。食べ頃に熟れる時を待っている。
「もちろん。お前には期待しているよ」
手のひらの上の果実
「災藤。あまり部下で遊ぶなよ」「おや、管理長。人聞きの悪い」遊びでなくなってからの方が厄介なこと、御存知でしょう。