「ああ、。ちょっとこちらへ」
その日、館に帰ってきた災藤さんの手にはいつものようにみんなへの「お土産」があった。たべものだ、なんだなんだ、と平腹が騒ぐのをみんながぎゃいぎゃい囲んで、私はそれをちょっと離れたところで苦笑しながら見守っていた。そこに、災藤さんから声がかかったのだ。白の手袋が、ちょいちょい、と私を手招きする。
「はい、なんでしょう?」
近づいてみると、災藤さんの白い手袋は今度は人差し指をたてた。内緒話をするように。少しいたずらっぽく微笑んで、いつも優しい災藤さんの、ちょっとお茶目な一面をのぞかせる。小さな紙袋を私に差し出すと、「には、特別」と囁く。とくべつ。その言葉にどきっとして、紙袋を受け取る指が少し震えた。災藤さんを真似るように、ちいさく、内緒話のような音量で「あけてもいいですか」と尋ねる。にこ、と微笑むのを返事とした災藤さんに促され、私はその「特別」の中身を覗いた。
「髪飾り…」
「そう。店先で目に留まって、に買って帰りたくなってしまってね」
「そ、そんな…私が頂いてもいいものなのですか?お金を、あの…」
「他の子たちは髪留めを必要とする髪の長さではないし…食べ物が一番喜ぶから。ああ、あとお酒かな」
「でも…私なんかにそんな…」
「私が、に似合うと思って選んだものだよ。気に入らない?」
私は壊れ物でもあつかうように両手にのせて、こわごわと、特別に華やかなその髪飾りを見つめた。その手に、災藤さんの手がそえられる。手袋越しで、直接肌に触れたわけではないのに、どきどきという胸の音が大きく、はやくなる。気に入らないなんて、そんなわけがない。私は顔に集中する熱をごまかすように、そりゃあもう全力で首を振って、「うれしいです!」と声を発した。すこし、大きな声になってしまった。内緒話をしていたはずなのに。
「でも、本当に…もったいなくて、うれしくって…とってもすてきで…」
「そう。気に入ってもらえてよかった」
「ああでも、私、こんな素敵な髪飾りに合う素敵なお洋服をもっていなくて、どうしましょう…使いどころが…」
「おや、そう?それなら、今度はとびきりに似合う、素敵な服を買って来てあげないと」
「えっ!?いえ、いえいえ、そういうつもりで言ったわけじゃないんです!これ以上は、本当に…!」
「気にしなくても、ショッピングは趣味のようなものだから。私にもっと可愛い娘を甘やかさせてほしいのだけど」
なんてね、と茶化すようにくすくす笑って、災藤さんの指が私の手から離れる。あ…、と少し寂しい気持ちになったのは、それだけが理由じゃない。災藤さんは言う。「娘のようにかわいがっている」と。肋角さんだって同じようにかわいがってくれる。買い物好きなのも重々承知だ。だから、これは何も特別なことではない。男所帯の特務室に、珍しい存在だから、ちょっと私が思いあがっていただけの話。女の子扱いは確かにうれしい。女の子にしか喜ばれないようなものを買う機会というのを災藤さんは楽しんでいるのかもしれない。でも、でも、
「……災藤さんは、よく、こうやって女性に贈り物をしたり、喜ばせたり…するんですか」
口にして、声として自分の耳に反響した瞬間から、後悔した。はっ、と顔を上げて、災藤さんの少し驚いた表情を見て、目がちょっとでも合った気がすると、もう、たえられなかった。「ごめんなさい、なんでもありません、失礼いたしました!」と深く勢いよく頭を下げて、私はその場から逃げ出す。胸元にぎゅっと押し付けるようにしながら、災藤さんからのプレゼントを両手で包んだまま。うれしいのに、ひどく泣きたくって、自分の浅ましさが嫌になる。ああ、もう、本当、なんにも特別なんかじゃない。わたしはただの、我儘で卑しい、あの人に恋い焦がれる一人の少女なのです。
●
コンコン、と扉をノックする音がした。けだるげに布団から顔をだして、かすれた声で「はい…」と返事をする。だれにも会いたくないからだれもはなしかけないで、と任務から帰るなり部屋に閉じこもり、早何時間。引きこもる直前に、キリカさんの元へ「今日はごはんいりません」を言いに行った。言いにいくついでに、ぎょっと目を丸くしたキリカさんに事情も話した。うんうん、と頷きながら私の話を聞いてくれたキリカさんは、親身に「そうね、そういうショック女の子にしかわかんないことだし、おばちゃんに話して少しでも落ち着くんだったら、いくらでも話きくからね」と言ってくれた。泣いた。そのまま他のみんなに泣き顔を見られないうちに、部屋にこもった。そして、今のノックの音。
「。任務お疲れさま。今少し話をしても?」
心臓が飛び出るかと思った。優しく、耳に心地よいこの声。誰だかなんてすぐわかる。災藤さんだ。あの、髪飾りをもらって、失礼な質問をしてしまって以来、気まずくって顔を合わせていなかった、災藤さんだ。どうして今、このタイミングで。私はドアに近付くことができずに、部屋のすみっこで立ち尽くした。逃げ場なんてないのに後ずさりもした。いまにこの目の前の扉があいて、災藤さんと顔を合わせるのだとおもうと。扉をこちらから開けない限りは入ってこられないはずなのに、「あけない」という選択肢がないことは不思議と理解できた。それでも、扉に近付くことができない。
「…、…さ、災藤さん…どうして…」
「今日の任務は大変だったと聞いたものだから。怪我でもしたのかと…」
「いえ、まったく、そんなことは!災藤さんに心配していただくようなことは、なにも!」
遮るように、突っぱねるように、そんなことを言ってしまう。ああますます失礼な態度だ、とわかってはいるのに。扉一枚隔てた向こうで、災藤さんが小さく、「…そう」と呟いた。ああ、もう、どうして、心配してくれて、こんなにもうれしいのに。うれしいけど、だめだ、どうしても。
「……『上司が直々に部屋を訪ねに来て、それをドア越しに追い返すとは随分だ』、と権力を行使してもいいのだけど」
「!!」
「おまえは優しくて聡い子だから、私にそんなズルを言わせる前に、顔を見せてくれるね?」
やさしいのに、強制する響きがある。もう逃げられない。私はとぼとぼとドアに近付いて、おそるおそる扉をあけた。今までのやりとりが全部幻聴で、扉を開けた先に災藤さんがいないことを願ったけれど、そのドアの隙間に見えた、長身のすらっとした綺麗なひとは、まぎれもなく、災藤さんだった。いまだドアを開けきることができずに中途半端に隙間から顔をのぞかせた私に、にっこりと目を細める。
「いい子だね。ドアを開けてくれてありがとう、」
「…災藤さん、私…」
「怪我をしたわけではないなら、何があったのか、話してはくれない?」
「な…なにも、なにもないです…心配をおかけしてすみませんでした」
「何もない、というのは…目を腫らした女の子が言う言葉ではないよ」
泣いていたでしょう?と。災藤さんの手が、こちらにのばされる。私の頬に添えられる。瞳を、見つめる。それだけで、じわじわとこみあげてくるものがあって、本当は首を振ってその手を払ってしまいたかったのに、それもできずに、ただ涙があふれ出てくるのを待つことしかできなかった。災藤さんの指がそれをやさしく拭う。手袋に、涙が吸い込まれる。だめだ、もう、本当によわい、自分。私は観念して、扉を開け放った。そうして、災藤さんの前にはっきりと姿を見せる。災藤さんは私を見下ろして、ああ、と声にならない溜息を吐いた。ああ、そう、そういうことだったの、と納得するみたいに。
「…任務で、へまをしてしまって。そいつ、炎を操って…私の、伸ばしてた髪を焼いたんです、それで…」
みっともなくて、くやしくて、切りそろえちゃったんだけど、思った以上に首がすずしくて、軽くなって。無性に泣きたくなってしまった。私は話してる間にもぽろぽろ涙が止まらなくて、災藤さんはなにも言わずにそれを拭っている。
「災藤さんにもらった髪留めが似合う、きれいな、長い髪でいなきゃって、おもってたのに…」
涙でゆがんだ視界の向こうで、災藤さんが眉を下げて笑っていた。ばかなこだねえ、とでも言ってほしかったけど、なんにもいわないで、私の涙をぬぐって、それから、頭を撫でた。短くなった髪を、なでる。こどもにするような、慰め方。またすこしさみしい気持ちになったけど、今へそを曲げる余裕なんかもなくて、私はただ、めそめそ泣き続けた。こどもっぽくて、自分が嫌になる。
「…本当に、可愛くって困ってしまう。髪留めじゃなくたっていい、なんだってまた買ってあげるのに。何が欲しいの、。洋服も、靴も、帽子も、ネックレスも指輪も、なんだって」
「いいえ、いいえ、受け取れません…だって、災藤さん、私なんかじゃなくて、もっと特別な女性に贈るべきです」
「そう……ええ、確かに私は、自分にとって特別な女性に贈り物をするのが好きだね。とびきりのものを贈って、喜んでもらいたい」
「なら、やっぱり…あの髪留めも、お返しします。私じゃ、つけてあげられない。私じゃもったいないんです」
そう言って、くるりと踵を返して、部屋の中の机の引き出しに大事にしまっていたそれを取りに向かう。ああきっとこれを返せば私の幼すぎる恋も終わるのだろうとわかりながら。でも、髪留めを手にとって災藤さんのほうを振り返った時、私は言葉を失う。災藤さんが私の部屋の扉を後ろ手に閉めて、こつ、こつ、と一歩ずつ私に近付いてくる。何も言えなくなってしまう。なんだかとても、異次元の空間に迷い込んだような気持ちだった。災藤さんが、私の部屋にいて、ふたりきりで、誰にも見られていない、秘密の時間のようで。
「」
「…災藤さん、」
「贈り物をされる自分こそが、私にとって特別な女性だという考えには行き着かない?」
何を言われたのか、頭がついていかなかった。本当に、考えがおいつかない。一つの答えになんか、辿り着いてくれない。え、と固まって動けない私に、災藤さんはちょっとお芝居がかった風にうーんと唸って、「私はわかりやすく伝えていたつもりなのだけど」と顎に手を添えながら斜め上に視線を投げた。
「私なりの愛情表現でね。けれどなかなか受け取ってもくれない。困ったね」
「…どういう意味でしょうか」
「わからない?そう。では少し、可愛がり方を変えるべきかな」
のびてきた指が、また私の髪に触れる。そっとその髪を耳に掛けると、内緒話をするように唇を寄せた。「どんなふうに可愛がられたいか、言ってごらん」と。うろたえて後ずさろうとした私の手を取って、指をからませる。頭が、やっぱりついていかない。
「納得して使えないと言うなら、この髪留めを使うのは…また髪がのびたとき。使いたくなったときに」
「…いい、の?…私、またのばしますよ、貴方のことを想って、のばすんですよ…それでも、ほんとうに?」
「勿論。私は、どんな髪型でも、どんないじっぱりでも、…どんなでも、可愛がるつもり」
恋心子知らず(さて、可愛がられる覚悟はよろしい?)