
ばかみたいだなあ、とおもった。夜の街中を、セーラー服でちょっと歩いているだけですぐこれだ。ひと気のない路地裏までか弱い女子学生を追い込んだつもりで、下卑た笑みのまま距離を詰めてくる男たちを睨んだ。こういう奴らには、私がひょこひょこ道を歩いているだけで、美味しそうなごちそうが足はやして自分の元にやってくる光景にでも見えるんだろうか。
「逃げなくてもいいじゃねーか。ちょっと遊んでくれって言ってるだけなんだからよ」テンプレートな台詞を吐いて、男の口元の笑みはどんどん歪んでいく。こんな時間にうろついている女子なんて、"遊んでる子"に見えてもしょうがない、って感じだろうか。
「大人しくしてれば手荒な真似はしないから」なんて言葉も口にした。いやいや、どうせ抵抗しようものなら殴る蹴る私の自慢の髪を汚い手で引っ張るくらいの暴挙には出るでしょ。ばかみたいだな、うんざりだ。でもこんなこと、この街では珍しくない。
この街は、少し異常だ。特に、夜は。
普通の人間は滅多に家から出ない。ドアには厳重に鍵をかけ、耳を塞ぎ、ただじっと朝が来るのを待つ。その晩、何があっても見ない振りをできるように。何にも巻き込まれないように。この街の狂気を浴びないように。殺されないように。
男の腕がこちらに向かって伸ばされる。小さく息を吐いて、私は目を閉じた。
「大丈夫か?」
気付けば、目の前の光景はがらりと変わっていた。涼しい顔で私に手を貸す男と、その背景に満月。呆然と促されるままその手を取って体を起こすけど、彼が差し出したのは左手だった。右手には、時代錯誤も甚だしい、「刀」があったから。その刀身は、真新しい血で汚れている。私の視線に気づいて、「すまない。あまり一般人に見せるものではないな」と一言謝った。けれどそう言いながら刀に付着した血を払う動作は手慣れていて、それでいて絵になっていて、少し、ぞくりと背筋が寒くなる。
辺りを見れば、少し前まで自分を囲んでいた男たちが血の海に沈んでいた。
「……こ、ろしたの?」
干上がった喉でかろうじて発した声に、蒼い瞳の男が眉一つ動かさずに答える。
「何を驚く必要があるんだ?此奴らはお前を殺そうとしていただろう」
彼が身に纏っている制服は、警察を意味するそれだった。正義の証だ。「正義のために人を殺めること」が許される者しか着ることのできない制服だ。
この街では、他のどの街より、どの国より、簡単に人が死ぬ。世界で最も「人殺し」の多い街。倫理観の欠如したこの街の平和を守る警官たちには、他の街の警官にはない、ひとつの特権があった。
「…銃とかナイフはよく見るけど……刀持ってる警官って……」
「珍しいだろうか。慣れれば扱いやすいぞ」
そう。この街では、他のどの街より、どの国より、簡単に警察が銃を抜く。恐ろしく治安が悪い場所には、恐ろしいほどに絶対的な「正義」が必要だから。国がこの街の警官に与えた特権、それが――人を殺めた者はその場で殺してよい、というもの。捜査も裁判も必要ない。殺人現場に出くわしたのなら、直ちに犯人を処刑せよ。未遂であっても、「殺意」が認められればそれは処罰対象だ。どうせ話の通じない殺人鬼ばかりなのだから、排除してしまえば、それが一番の「正義」である、と。ばかばかしいけれど、それがまかり通る世界なのだ。
「だが、訂正しよう。その男たちを殺してはいない。かろうじて息はある…はずだ」
「はず……なの? い、生きてるかなあ…結構ざっくりいってると思うんですが…」
「…そうだな。とりあえず応援を呼んでおくか。あとは病院なり署なり他の者が連れて行くだろう。…それか死体回収所だが」
「他の者って……え、お兄さんは?」
「俺はもう一つの方の仕事を遂行する」
「もう一つ?」
「補導だ」
そう言って、彼はその瞳で私の目の奥をじっと見据えた。
「この時間に何をしていたんだ」――視線の刃がじりじりと喉元に迫っている気分だ。
「……ごめんなさい。知り合いの家で話し込んでいたらすっかり遅くなってしまって。家はここから近いので、急いで帰ります」
「待て」
たったその一言で、びくっと肩が跳ねる。その原因はなんといっても彼の持っている刀にあるけれど、一瞬の間を空けたあと、彼は刀をようやく腰の鞘に納めてくれた。いつでも抜けるようにそこにあるけれど、とりあえずほっと息を吐く。いや、だけど、今彼は「待て」と言った。まだこの警官の取り調べは終わっていないということじゃないか。再度体に緊張が走るけれど、目の前の彼はなんてことないように、当然ですみたいな顔をして、一言。
「送って行く」
「……えっ!?いや、いいですほんとすぐそこなので!徒歩10分!いや5分!」
「なら5分警護するだけだ。何故遠慮する?」
「だ、だって警察のみなさんは毎晩お忙しいかと…」
「一般市民を守るのが俺たちの仕事だ」
「ええぇ、でも…」
「つい最近また新たな殺人鬼がこの街に出たんだ。知らないのか?」
危機感の無さを指摘するその言い方に、言葉が詰まる。「新たな殺人鬼」……この街に殺人鬼がいるのは前提の上で、「また新たに」だ。本当わけがわからない殺人鬼の大安売りっていうか、バーゲンセールっていうか、そんな街だ。もちろん、だからといって「はいはいいつものことじゃないですか」なんて警察相手に言えるわけがない。
「……あまり恐れてはいないようだな」
「えっ!?い、いや、そういうわけじゃ…」
怪訝そうな声に、思わず声が上擦る。しどろもどろになりながら、市民を心配してくれている警官さんには悪いけど、つい反論じみたことを口にした。
「でも、今更新しい殺人鬼が出たって言われたところでしっくりこないというか……今までの殺人犯と別かどうかもよく分からないし…」
「…いや、今までの奴らとは手口も大胆さも違う」
「はあ……そうなんですか……。なんかもう、ここまでうじゃうじゃいると、もうまともな人のほうが少ないんじゃないかなーとか、思いません?」
殺人鬼じゃないとしても疑わしい人物は警察が殺していってるわけだし。……というのは心の中にとどめて、私の足は歩き出していた。それに、警官の彼も続く。夜の街は、なんだかいやに生暖かい風が吹いていた。一人で歩いていたらきっと寄ってきていたであろう、ニヤニヤ笑いのあやしい男たちも途中見かけたけれど、彼らは私の隣を歩く人物を見るなり縮み上がって逃げていった。ばかみたいだなあ。ぼんやりと胸の内だけで呟く。
ふと、隣から声がした。
「それでも、」
「それでも、市民を守るのが俺たちの仕事だ」
「……え?」
「まともな人間の方が少なくなっても、だ。そこに善良な人間が一人でもいるなら、俺はこの街の平和を守る」
それが、先ほど私の零した言葉に対する返事なのだと、遅れて気付いた。いや、だって遅れて返ってきたから。わりとタイムラグがあったから。今のこの間、ずっとなんて返すか真剣に考えていたんだろうか。私は思わず隣に並ぶ人物の顔を覗き込む。蒼の瞳はどこまでも真っ直ぐで、その言葉が真剣に考え抜かれた嘘偽りない言葉なのだと理解する。理解して――理解したからこそ――、私は少し、眉を顰めた。
――そりゃあ、それ以外の全員を殺せば平和だよね。
心の中で呟くのに留めたか、実際に声に出したか分からない。蒼い瞳の若い警官は、私に何か言いかけて口を開いた。けれどその一歩前に私は大股に踏み出して、振り返らずに自分主体の雑談を試みた。
「森から出てきちゃった野生動物とか、野犬とかって、人間に怪我させたら悪い子扱いされて処分されるじゃないですか」
「……ん?…ああ、そうだな」
「いや中には悪さしてなくても『人間にとって危険だから』って処分されちゃう子もいるし。なんかそれって人間の勝手ですよね。彼らだって人間が怖いだけかもしれないのに。何考えてんのかわけわかんない存在って怖いですもん。いくらこっちのほうが鋭い爪とか牙とかそういう武器持ってたって、相手の方が弱くたって、やっぱり怖くてうっかり殺しちゃうこともあると思うんですよね」
この街も、ずいぶんと昔は平和だったらしい。夜も人々は「こんばんは」「良い夜ですね」なんてすれ違いざまに挨拶していたのかもしれない。今じゃ出歩く人はまばらだし、野良犬も野良猫もなかなか見かけない。いつからこんな街になったんだろう。きっかけはなんだったんだろう。いつのまにか、なんだろうか。いやそもそも一番最初は、なんだったんだろう。世界で一番最初に殺人を犯した人間は、どんな気持ちだったんだろう。この街の異常さも、最初の原因はたった一人の殺人鬼だったんだろうか。その人物の狂気に触れた誰かが同じように殺人を犯して、伝染病みたいに広がって。狂気は伝染するのだと、誰かが言っていた。じゃあやっぱり無理じゃないか、この街はもう手遅れだ。どこもかしこも殺人鬼だらけで、誰もかれも人を殺したがって。それならもう、その人が悪いわけじゃなくて、"この街"が悪い。殺したいって気持ちにさせる、この街が悪い。
「なのにちょっとヒトを
殺したくらいで殺処分なんて、そんなの『まだまともでいられてる人間』のエゴでしかないよ。ずるい」
話が通じないから殺人鬼は殺される。けど殺人鬼からしたら、話が通じないのはそっちの方じゃないだろうか。そうは考えないのか、普通の人間は。「正義」の人間は。深く息を吸って、吐いて、目を閉じる。覚悟を決めて振り返った。振り返った先でもう相手が刀を抜いているかもしれないとすら考えた。だというのに、そこにあったのは拍子抜けする光景だった。ただただその警官は、顎に手をあてて、ふむ、と納得したように適当な方向へ視線を投げていた。
「そうだな。俺も犬は好きだ」
「……、…」
「猫も好きだな」
「………え、いや、それだけ?い、今の話聞いてそれ?もっとこう、反国家思想だー!とか、そういう…」
「優しいんだな。お前は」
「は、」
「殺処分される犬に、そこまで心を痛めることができるんだ。優しい奴だろう」
ぽかんとしているこちらに構わず、そんなことを言う。またあの、真剣な目で。嘘なんかひとつもない、曇りのないその目で。しばらく私は、なんの言葉も表情も感情も返すことができなかった。混乱も呆れも通り越してしまった。いっそ恐怖さえ感じるけれど、そんなものも一定の枠を飛び越えると、最終的にひとは笑えてくるのだと知った。沈黙の末に肩を震わせる私に、目の前の彼は首を傾げる。何かおかしなことを言っただろうか?って、そんな具合に。
「ぷっ、ふふっ!あははっ、変なひと!」
「……そうか?」
「そうです、へんなの!あー、でも、犬が好きーなんて平和な世間話を警察の人間とできるなんて思ってなかったな。面白い人がいるんですね、ケーサツにも」
本当に自分が笑われている理由に心当たりがないようで、その人は不思議そうにしていた。私はしばらく笑い続けていたけど、不意に彼の携帯していた無線機に連絡が入る。私に断りを入れて、その連絡に応えた。相手の声が大きいようで、少しだけ会話を盗み聞いてしまう。
『斬島。貴様、今どこで何をしている?』
「谷裂か。先程連絡したとおりだ。三番通りの路地裏で女学生に乱暴を働いていた男三人を斬り伏せた為、処置を……すまない。やはり加減できていなかっただろうか。今度こそ殺さずに斬ったと思ったんだが…」
『現場に向かった者から報告があった。男三人は生きている。だが近くにいた残りの一人は死亡が確認された』
「……何?俺が斬ったのは確かに三人だ。俺が見つけたとき、女学生を取り囲んでいたのも三人だった。もう一人仲間がいて、そいつはその時すでに死んでいたのか?」
『意識を取り戻した男たち三人は口々に"正当防衛だった"と主張している』
「……」
『"自分たちは殺されそうになったから殺そうとしただけだ"とな』
「………」
『"目の前で仲間が一人殺された。自分たちも抵抗しなければ殺されていた"と』
「…………」
『件の"この街の新たな殺人鬼"の情報が一つ増えた。――犯人は女だ。学生服を着た、若い女だ』
「…」
『もう一度聞くぞ、斬島。今どこで、何をしている』
視線を向けた先には、何もなかった。誰もいなかった。不機嫌そうな、谷裂の声だけが聞こえていた。俺はしばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開く。やけに生ぬるい風が頬を撫でた。
「谷裂。犬は好きか?」
それまでの不機嫌さとは比べ物にならないほどに苛立った声で、「ふざけているのか」と返ってきた。電波を通して聞くその声が、やけに雑音混じりだ。確かに、「犬は好きだ」なんて平和な世間話を誰かとするのは、貴重な体験だったのかもしれない。もうこの先、することもないのかもしれない。少なくとも、同じ相手とは、二度と。
『逃げられたのならばさっさと追って処分しろ。それが仕事だ。俺たちこそ"国家の狗"だろう』
そうだ。犬というのなら、俺たちのことでもある。国の為に動き、国の為なら、なんでもする。政府に尻尾を振るだけの犬であると、揶揄されることなどしょっちゅうある。谷裂の堅い声に、俺は走り出した。谷裂は鬼上司だと周囲にも評判だ。けれど俺も、真面目過ぎる、仕事の鬼だとよく言われる。鬼でなくてはいけないのだ。この街では。心を鬼にして、悪をすべて処分しなくてはいけないのだ。
殺さなくては、"殺人鬼"を。ああ、そうか、俺も、
殺人鬼
の
潜む街
普通の人間は滅多に家から出ない。ドアには厳重に鍵をかけ、耳を塞ぎ、ただじっと朝が来るのを待つ。その晩、何があっても見ない振りをできるように。何にも巻き込まれないように。この街の狂気を浴びないように。殺さないように。