きみはいちばん




「斬島は嘘つかないもん!」

 急に自分の名前が聞こえたことに少し驚いて、食堂に足を踏み入れるなり、斬島は首を捻った。見れば、田噛とが何やら揉めていた。揉める、というよりも一方的にが怒って、田噛がそれを適当に聞き流しているような様子だったけれど。食堂を使う際に特に決まった席は無いが、とりあえず二人の方へ斬島の足が向かう。

「なんの話をしているんだ?」
「斬島!あのねえ、田噛が私の楽しみに取っといたおやつ食べたのにそれを斬島が食べたって嘘ついたの!」
「…おやつが何だったのか分からないが、俺は食べていないな」
「でしょう?ほーら田噛ぃ~!」
「なんで斬島の言うことは信じんだよ。そいつが嘘ついてる可能性だってあるだろ」
「いーやないね!絶対ない!」

 首をぶんぶん横に振って、力強く否定する。そんな様子を田噛はジトっと眺めた末に、小さく舌打ちをした。当然田噛の負けだ。田噛の嘘だ。のおやつを勝手に食べたことを反省する気は別にないが、自分の犯したミスを「失敗したな」と認めていた。もっと上手く嘘をつけばよかった、と。せめて平腹あたりの名前を出しておけばよかった。罪を擦り付ける相手を選択ミスした。よりにもよって、斬島の名前を出すなんて。

「だって斬島は嘘つかないもん」

 が大きく頷く。なるほど、と斬島も納得して頷く。それで、冒頭の台詞か、と。が自分のことのように誇らしげに胸を反らして斬島の顔を振り返る。目が合って、にっこりと笑った。「ね~?斬島っ」信頼しきった笑顔で同意を求められて、斬島も「ああ、そうだな」と素直に返事をした。その返事にまた満足して、ほら斬島となりおいでおいでと上機嫌に自分の隣の席を促す。席についてからも、斬島はしばらく、すぐ隣の彼女の笑った顔をじっと見ていた。




「斬島はそんなんじゃないですよお!」

 またもや自分の名前が聞こえてきた。ただそれだけならそんなに気にならなかったかもしれないが、それがの声だからどうしても気になってしまう。斬島はこの間と同じように辺りを見回し彼女を探した。食堂の奥で、とキリカが談笑している。田噛と話しているときよりもなんとなく女性同士の会話に首を突っ込むことに躊躇いはあったが、迷っているうちにキリカと目が合った。

「あら、斬島ちゃん」
「あ、ちょうど噂をすれば……」
「……何の話をしていたんだ?」
「いやあ、あのね?キリカさんが『確かに館の皆はいい子だけど、ちゃんも女の子なんだからー油断してたら食べられちゃうわよー』って」
「……食べる…」
「だぁって聞いてよ、斬島ちゃん。ちゃんったら、『自分は女として意識されてないから多分下着姿でうろうろしてたってみんななんとも思わない』なんて言うのよ。そんなの、蛇の前に可愛い蛙を差し出すようなものじゃない?ねえ?」
「あっそこはオオカミとかじゃないんですね、例え」
「油断してたらぱくっと一瞬よぉ」
「丸のみなんですねえ」
「…それで、どうして俺の名前が?」
「え、特に斬島がそういうのなさそうだなって」

 ばっさりと本当になんとも思っていないようにが言いきり、斬島が沈黙したまま固まった。本当になんとも思っていないようだ。相手は、それを聞いてなんとも言えない気持ちになるというのに。キリカが二人の顔を見比べて、困ったように頬に手をあてながら「あらあらあら…」とつぶやいている。

「だって、斬島ですよ!安全安心優良物件じゃないですか!私に対してそんなの、ないない!」
「そうねぇ……おばちゃんの口からはなんとも言えないんだけど……」
「斬島はそんなことしません!優しいし、マジメだし、ちょっと天然だし、なんていうのかな…純粋です!ピュア!」
「……」
「き、斬島ちゃん…! あ、分からないわよ~?ねえ?ほら、一番純朴で安全そうな相手に限ってムッツリさんで、いざってときは肉食…ね、ねえ~?」
「斬島は私にそんなことしないですよぉ。ね~?斬島!」

 こればかりはすぐには「ああ、そうだな」とは答えられずにいたところ、さすがに気の毒に思えたのか、キリカがの手を引いて「あっそうだ今日はお手伝いしてほしいことがあったのよ~ちょっといらっしゃい~」と斬島の前から退場させる。答えが返ってこないことに対して何の疑問も持たずに、はキリカについていった。途中振り返って、「またあとでね、斬島!」と笑顔を向ける。本当に、信頼しきった笑顔で。斬島は茫然とそこに突っ立ったまま、その笑顔を見送った。しばらく、突っ立ったままだった。少し経った頃にやってきた谷裂が、突っ立っている斬島に気付いて神妙な顔で尋ねる。

「何をしている、斬島」
「……谷裂」
「なんだ」
「お前はのことを食べようとしたことがあるか?」
「おい何の話だ」
「一番安全そうな奴に限って危ないらしい。一応確認しておくべきだと思ったんだ」
「待て本当に何の話だ」






。聞きたいことがあるんだが」
「ん!どうしたの~、斬島!」

 声を掛ければ、振り返って自分の顔を見るなり、機嫌よくにっこり笑ってくれる。のその信頼しきった反応に、やはり斬島はなんともいえない気持ちになる。どんな話題でも「斬島は」「斬島は」と自分のことを話してくれる。当たり前に信頼できる相手。を欺いたり、酷いことをしたり、そんな心配が一切ない相手だと、慕ってくれている。それはきっと嬉しいことであるはずなのに、斬島は少し、納得のいかない気持ちになる。それはきっとの信じてくれている「斬島像」が、本当の自分の気持ちと少しずれているからだ。本当にに対し嘘や隠しごとがなく、の想像通りの男だったのであれば、こんなモヤモヤは抱かない。だからつまり、自分はの期待しているような男ではなく、その信頼を裏切っている、ということだ。
 は、話し出さない斬島に、苛立つわけでもなく、ただにこにこと微笑んで、たまに首を傾げたり体を左右に揺らしたりして、言葉を待っている。その笑顔を裏切ってしまうような、心苦しい気持ちを少し抱えて、斬島は口を開いた。

「俺はお前に好きになってもらうためには、どうしたらいいんだ?」
「……ん?」

 口角は上がったにこにこ顔のまま、が固まる。斬島の声は真剣だ。目だって本気だ。「斬島は嘘をつかない」と信じてくれたならば、そんなことには気づくだろう。だからこそ、その視線のまま真っ直ぐに、斬島はを見据える。視線を逸らすことはない。はしばらく本当に石になったように固まって、やがて斬島の視線と長引いた沈黙に怯むように、わずかに目を泳がせた。

「す、すきだよ?私。斬島のこと、めちゃくちゃ。嫌ってないよ?喧嘩とかしてないし、最近よそよそしい態度とったーとか、ないと思うんだけど……なんかそんなふうに見えちゃうようなこと、してた?」
「そうじゃない。俺が言っているのは、違う意味の『好き』だ」
「いや、たぶん斬島のそれは…」
「俺のことを男として意識していないのは、の方じゃないのか」

 いつもの明るい笑顔が、うまく作れていないを見るのは少し胸が痛んだが、そうもいっていられない。誤魔化してしまえば、「いつも」の通りに「やっぱり斬島はそういうのじゃないよね」に戻ってしまう気がした。相手の表情に見える動揺が、今は頼りだ。斬島はさらに一歩距離を詰める。、と名前を呼んだら、ついに相手は俯いてしまった。困らせたいわけではなく、そんな反応に少しショックを受ける斬島だったが、の耳が赤いことに気付いたとき、目の前がパッと拓けるような気持ちがした。「意識」をしている、証拠。


「ま、待って斬島」
「すまない。待てない」
「待ってってば…!」

 そんな攻防を繰り広げていると、廊下の曲がり角の向こうから、佐疫の声がした。二人して、声のした方へ顔を向ける。

ー?あれ、さっきこっち側に歩いて行った気がしたんだけど…」
「……」
「…」
「き、斬島、私ちょっと佐疫のところ行ってくるね」

 曖昧に笑って斬島の前から逃げようとしたが、佐疫の呼びかけに応えかけたとき、斬島がその手を掴んだ。え、とが驚いた直後に引き寄せる。気づいたときには、の背中が壁にくっついていた。壁に、追いつめられていた。ぼうぜんと口を開けて斬島を見上げるに、もういつものにこにこへらへらという余裕はない。

ならこっちには来ていないぞ」

 少し声を張って斬島がそう告げる。それが、離れた場所にいる佐疫への返答だと気付いて、はますます頭が真っ白になった。「そっか、ありがと斬島!」佐疫の声がした。足音が遠ざかる。佐疫だって疑わないのだ。なんにも疑わない。斬島の言葉を。斬島が、嘘を言うわけがないから。そのはずだった。は、見知ったはずの彼の顔を、初めて見るような気持ちで見上げた。本当に自分の目の前にいるのはあの斬島か?と疑いたくなる。それでもやはり、斬島だ。この真っ直ぐな目は、斬島なのだ。嘘をつかない、斬島の。

「どうやら、俺も嘘の一つくらい、つけるらしい」
「き、りしま……」
「俺はお前を女として意識することも、食べたくなることもある」
「たべ!?……き…斬島が、そんなこと言うとは思わなかった、っていうか……」
「……俺のことを、意識するようになったか?男として」

 そうであれば、嬉しい。斬島なりに、一か八かの賭けだった。「斬島がそんなヤツだとは思わなかった、ショックだ」と言われてしまえばそこまでだ。強気に押してしまえば、「またまたそんな」という空気にはならないにしろ、いつもと違う空気のそれが、自分の願った結果と違う場合だってある。それを見極めるように、斬島がじっとの顔を見つめた。答えは、そこに書いてあると思ったから。困惑の色はもちろんある。けれど、真っ赤なその顔色に、嫌悪や気まずさは、無いように思えた。

「だって、私……斬島が一番……その、一緒にいて安心っていうか、斬島は斬島!って感じがして好きっていうか…」
「……だから意識は出来ない、か?」
「私、斬島が一番……そういう…好き、とか…想像できなくて……」
「…」
「みんなの中で一番……『好き』になっちゃったとき、どうしていいのかわかんないよ…」
「……、それは」
「そんなの!いちばんドキドキしちゃうでしょ!?」

 わっとやけくそに叫ばれて、斬島がぽかんとする。は、真っ赤な顔のまま斬島を恨めしそうに睨んだ。だがその睨む目は恥ずかしさでなのか、少し潤んで、眼差しにあまり鋭さはない。だから斬島はしばらくそのぽかんとした表情を隠そうともしなかった。やがて納得したように頷いて、なるほど、と自分の中の結論を噛みしめる。

「そうか。一番意識されていないことが、結果的には良かったんだな。そう考えるとやはりキリカさんの『一番安全そうな奴に限って』というのは的確な助言だったように思える」
「そんなまとめ方!?いや、だめだよ、斬島!!」
「……駄目とは」
「私のことドキドキさせるの禁止ね!」
「何故だ?」
「なんでも!はい、壁ドン終わり!離れて!」
「……何故だ?」
「ドキドキしちゃうからだよ!」
「嫌なのか」
「い…やじゃないけど、たまににして!」
「たまにはいいのか」
「本当はだめだけどたまにならいいよ!」
「いいのか」

 ぎゃいぎゃいと怒っているように思えて斬島は言われるままにから体を離すけれど、「まったくもう」という態度で背を向けて歩き出したが、くるりと振り返った直後、「斬島ならいいよ!」と言った。目を瞠った斬島に、はいつもの調子で、にっこりと笑う。それにほんの少し悪戯っぽさも混じっているように思えて、斬島は咄嗟に何も言葉が出てこなかった。機嫌良く軽やかに歩き出す、その彼女の足取りに、斬島は気付く。そういえば一番大事なことを伝えていないし、一番大事なことを聞いてもいない。ドキドキさせるのは禁止だといわれたばかりだけれど、今、追いかけてみてもいいのだろうか。迷ったのは一瞬。追いかけていいはずだ。自分はいつもこんなににドキドキさせられているのだから。これからは「あいこ」くらいにはもっていこう。納得して、一歩踏み出した。