ーー!!どこだーーーー!!」
「……平腹。廊下でひとの名前を大声で叫ぶのやめてほし」
「オッ!いるじゃん!!なあなあなあ!」

 私の姿を廊下の先で見かけるなり、どたどたと駆け寄ってくる平腹に「廊下は走っちゃ…」とか言う気力もなくて途中であきらめた。急速に迫ってくる厄介な脅威に、私の逃げ場はない。両手も、今図書室で借りてきた本で塞がっている。観念してその場に立ち尽くしていると、やっぱり平腹がまっすぐ突っ込んできた。私の鼻先3センチの位置に「何か」を突き付けて、こう言った。

「なあ!これやる!!」
「……有り難う」
「うれしい?」
「はあ…」
「オレのこと好きになった?」

 ぐちゃっと平腹の手に握り絞められた花が、力なく項垂れている。「ならないよ、平腹」




 私は仕方なくその平腹の手に絞め殺されている花を受け取って救出しようとするけれど、そういえば手が塞がっているんだった、と思い出す。ちょっとまって、とどこかに一旦本を置こうとしたら、ぴん!と閃いたように平腹が手を伸ばしてきた。

「本、オレ持つ!」
「ああ……うん、有り難う」

 私が両手で持っていた分厚くてわりと重さのある本5冊を、平腹がひょいと片手で攫っていく。その代わりに、みたいにずいっと差し出された花を、私は受け取る。花壇から抜いてきたんだろうか。土がついてる。平腹の手も土まみれだ。その手で持つので、私の本たちも少し汚れている。うーん。まあ、いいか。いろいろと諦めて、私は肩を竦めた。そんな私を、そわそわ落ち着きなく平腹が覗き込んでくる。いまかいまかと何か私の言葉を待っているみたいに。…ああ、「それ」か、と勘付きながらも、私からは何も言わない。結局、平腹から尋ねてくる。いつもの言葉を。

「なあなあ、オレ本持ってやったじゃん?」
「うん、有り難う」
「好きになった?オレのこと」
「……いや…うーん…なってないかな」
「えーー!!なんでだよ~!?」

 なんで、と言われてもなあ。私はてくてく歩きながら、溜息を吐く。その横を、平腹が本を抱えながらくっついてくる。そのまま部屋まで持ってきてくれるようだったので、そこはまあご厚意に甘える。

「なーあー!オレ、『花あげた』じゃん!」
「うん」
「本も持ったじゃん!『優しくした』だろ?」
「……うん」
「なのになんで好きになんねーのー!?」
「うーん…たぶんそれ木舌とか佐疫にもらったアドバイス通りのことを実践してるんだろうけど」
「あいつらウソツキじゃねー!?ぜんぜんオレのこと好きになんねーじゃん」
「いや…うーん……いろいろとそういう問題じゃないっていうか…」

 つまんなそうに、不服そうに口を尖らせてる平腹に、私はまた、「うーん…」って肩を竦める。最近ずっとこんな感じだった。或る時から、急に、何故か平腹が私に付きまとうになった。私に、「好き」と言わせたいらしい。「好き」になってほしいらしい。なんの冗談だ、と最初は思ったんだけど、どうも笑いごとじゃなくなってきた。本当に、毎日、いつもだ。誰か止めてくれればいいものの、周りの連中ときたら他人事だと思って放っておくか、「アドバイス」と称して余計な入れ知恵をするか、どっちかだ。本当、困った。どうにかしてほしい。

「お前、どうしたらオレのこと好きになんの?」

 平腹がそう口にする。私はその横顔をしばらく眺めてから、目を逸らして、前に向き直る。どうして、こんなことになったんだろうな。最初のきっかけはなんだっただろう。いつの間にか、ではなかった。「あるとき」からだ。あるとき、急に。平腹が目を爛々と輝かせて私に駆け寄ってきて、「なあ、オレお前のこと『好き』だ!」と声高らかに宣言したときのことを思い出す。ぽかんとする私の感情を置いてけぼりに、平腹は何故か嬉しそうだった。
 思えば。あれもたぶん、木舌あたりの余計な入れ知恵だったのだと思う。「平腹、たぶんそれ『好き』ってことだと思うよ」なんて言ったのだと思う。そして馬鹿正直な平腹は「そっかーオレこいつのこと『好き』なのかー!」みたいに思い込んで。
 まったく、迷惑な話だった。好き、なんて、そんなのは。私は彼の運ぶ本についた土を眺めた。

「…平腹。たぶん、勘違いしてるんだと思う」
「ほ?」
「平腹のそれは、『好き』なんかじゃないよ」

 私の言葉に、平腹がきょとんと目をまたたく。ぴたりと足を止めるから、私も足を止めた。なんだか、べつに悪いことなんてしていないのに、妙に気の毒な気持ちになるのは何故だろう。平腹の目を見ると、最近いつもそうだ。気の毒なんだ。かわいそうなんだ。嘘を信じちゃって、私のこと「好き」とか勘違いさせられちゃって、かわいそう。平腹って単純だから、そういうのいつも騙される。

「なんで?」

 なんで、と聞かれても。「だって、」言いかけて、うまくその続きが紡げない。うまく言えないけど、違うんだ。そんなはずがないんだ。

「……だって、平腹が、わかるわけない」

 迷った末に、ものすごく失礼な言い方をしてしまった。憤慨して、ばかにすんなって、本を放り投げてしまってもおかしくないのに、平腹はただ、ますますわけがわからないものを見るように「なんで?」と言った。私はいつのまにか、平腹とおんなじように、手の中で花をぐっと握っていた。絞め殺していた。「なんで?」って、なんでだろう?私も知りたかった。私も、すごく、知りたかったんだ。

「だって、私にも分からないんだよ」

 呟いた自分の声が、やけに自信がなくて、弱々しかった。どんな本をいくら読んでも、私には分からない。「私達」には、分からないものだと、思っていたのに。なのに平腹が急に、答えを得たように嬉しそうにするから。私には分からないことを。素敵な贈り物をされて、優しく大事にされて、好きだと言われて、確かに本の中の人物たちは、そうやって他人を「好き」になるようだった。しかし分からない。どれだけ読んでも感情移入できない。どんなに物語の中の人物の真似をしたって、真似でしかなく、本質を理解することはできない。そのことが酷く悲しいような気がして、平腹に「好き」だと言われるたび、「好きになった?」と聞かれるたび、なんだかどんどん悲しいやら寂しいやらが増していくのだ。
 平腹は、黙っていた。じいっとその目が私を見る。やがて「ふうん」って呟いた声に、ちょっとだけ身構えるけど、冷たいものではなかった。

、本とかいっぱい読んでオレより頭いいのに、わかんねーことあんのな!」
「……うん。ごめん」
「なんで?なんで謝んの?」
「だって、わかってあげらんなくて」

 きょと、とした後、けどさあ!と平腹が少し大きな声を出した。

「オレのは、『好き』だと思うぜ!だってオレ、すげー好きだもん。お前のこと」

 だから、どうして、そんなことが。平腹の自信に満ちてさっぱりとした物言いに、私はどうしたらいいのか分からなくなる。そんなわけない、そんなわけない。胸の内では繰り返すのに、口に出すのは躊躇われた。だって、私はわからないからだ。分からない私が、たしかに、平腹に「それは違う」なんて言える資格はない。だって、答えを知らない。その感情を、私はやっぱり、知らないんだから。平腹が私の顔を覗き込んで、ご機嫌に歯を見せて笑う。やけに嬉しそうに。ああ、そんなに「嬉しい」ものなのか、「好き」って気持ちは。

「じゃあさあ、やっぱオレのこと好きにさせる!ぜってーさせる!」
「……なるかなぁ…」
「オレがすげーいっぱい教えてやっから!そしたら、オレうれしーし、お前も分からないこと知れるし、よくね?」
「うーん…そう簡単にいくかなあ…」
「任せろー!!」

 鼻歌でも歌いだしそうな平腹に、私はいつの間にかすぐ後ろをくっついて歩くことになる。だけど途中、いいこと閃いたみたいに私を振り返った。また本を片手に担いで、空いた手を自分のズボンでごしごし拭いた。どうしてそれを、本を持つ前にやってくれなかったんだろう。ぼんやりとそんなことをおもうけど、平腹が次に、「ほい!」と手を差し出してきたから面食らう。首を傾げて、数秒遅れで「ああ、」と言いたいことを理解した。私は花を持っていないほうの手を、ちょっと平腹へ伸ばしたら、当たり前のようにあっという間に捕まえられてしまう。引っ張られて、手首をぎゅうっと掴まれて。これ、「手を繋ぐ」で合ってる?本当に、平腹は理解しているんだろうか?愛情なんてものを、平腹が。この男に教えられて、本当にいいものなんだろうか?

「なあ、なあなあ、!」
「……うん?」
「やっぱりオレ、お前のことすげー好き!」

 わからないのに、平腹が私のことを見てそう笑ったとき、思った。どうして、いつものあの一言を言ってくれないのか。今、「好きになった?」って聞かれたら、もしかしたら、「そうだね、少し」って、答えていたかもしれないのに。