「あ、。もう出かけるの?」

 佐疫に声を掛けられて振り返った。私の顔…より下を一瞥してから、「ごめんね。デート前に引き留めて」と、わざわざこっちが恥ずかしくなる言葉を選ぶ。新しくおろした服の端っこを思わずぎゅっと握りながら、「べつにそんなんじゃないわよ!」と噛み付いた。いや、デート…だけど!訂正するのも気恥ずかしくて、こほん、と一つ咳払いして、何事も無かったように話を戻す。

「……もうすぐ出るけど、どうしたの?」
「そっか。うん、ほら、今日はホワイトデーだから。バレンタインデーのときのお返し。俺たちみんなからに」
「あ……ありがとう。べつに、私には用意しなくてもよかったのに」
「ううん。お礼、まとめてでごめんね。代表して、改めて。チョコレート美味しかったよ」

 にこやかに渡されたお菓子らしき包みを受け取って、むずむず、なんとなく照れくさいような気持ちになる。バレンタインにみんなに渡したものは本当にちょっとしたものだったし、いわゆるいかにもな「義理チョコ」ってやつだ。お返しを期待していたわけではないし……なんとなくこの、みんなの代表で佐疫が、っていうのも…ホワイトデーにお返しを贈るという概念が無さそうな若干名をカバーするための佐疫の気づかいのような気がする。あと実はさっき佐疫の前に災藤さんからもホワイトデーのプレゼントがあった。すごく高価そうな包みで開けるのが怖い。まだ開けてない。

「あ、でも『俺たちから』って言っても、もちろん木舌は入ってないから……」
「そうだね。おれからは後でデート中の二人きりの時に渡そうと思って。みんなに先を越されてしまったなあ」
「! き、木舌!いきなり出てこないで!!」

 急に話に割り込んできた声に、顔をそちらへ向けた。視線の先でにこにこ笑ってるその顔に、むうっと口を尖らせる。心臓に悪い。まだ、いろいろと「デート」の心の準備みたいなものができてないんだから。ふいっと顔を背ける。髪を耳に掛けるか迷ってそわそわして、毛先を少し落ち着きなく触った。

「あはは、抜け駆けしてごめんね、木舌。二人ともデート楽しんできてね」
「ありがとう、佐疫」
「べ、べつに…デートじゃ……、…わ、私、貰ったもの一回部屋に置いてくるから!」
「ああ、わかったよ。エントランスで待っているから、急がなくていいよ、

 のんびりした声をその場に残して、私は佐疫から受け取った包みを腕に抱え部屋に一旦戻る。急がなくていいよとは言われたけど、ぱたぱたと駆け足に。自室のドアを開けて、机の上にプレゼントを置き、すぐには戻らずに鏡の前へ移動する。前髪を触って、服におかしいところがないか確認して、でもその間にもどきどきと緊張がおさまらなくて、鏡の中の自分をじっと見ながら両頬をぱちんと軽く叩く。
 デート、デートって、いまだに慣れない響きだな。出かけよう、って誘ってくれるのはいつも木舌の方だ。今回もそう。ホワイトデーの予定を聞かれて、出かけないかって言われて。ホワイトデーだから、お礼だから、何が欲しい?どこに行きたい?の好きなように過ごそう、なんでもいっていいよ、って。でも、ホワイトデーなんて理由がなくても木舌はいつもそうだ。私に優しくしてくれるから。木舌は、優しいから。

 ちら、と机の上を見る。同僚や上司からの、バレンタインデーのお返し。なんだか、ふつうに、日頃お世話になっているからあげる、っていう感覚でバレンタインには渡しちゃったけど。あげても間違ってなかったのかな。いや木舌に限って佐疫たちにやきもちとかは無いだろうけど。なんにも思わないかな。いや、そもそも、そういう「お世話になってます」チョコなら他の……あやことか、キリカさんも渡してたはず。木舌も、二人からもらったと思うし。木舌、あやこたちにお返しあげたのかな。ううん、佐疫があやこたちにも「みんなから」でお返しするならそこに木舌の名前も入ってとか…、…でも木舌はとにかく人脈が広いし私の知らない女の子にもいっぱいバレンタインに貰ってたり……

「ああもう!ばか!ばかばかばか!余計なこと考えなくていいのよ!」

 もやもやしてきた気持ちを振り払うようにもう一回両頬を叩いて、鞄を引っ掴んだ。部屋を出る直前にもう一回だけ鏡の前で髪をチェックしてから、エントランスに向かう。見ればもう佐疫はいなくなっていて、木舌だけ、階段からおりてくる私を見上げていた。結局少し待たせてしまった気がする。一言謝ろうと思ったのに、木舌があんまりにもじいーっと見てくるので、その視線に落ち着かなくなって、謝る言葉じゃなくて可愛くない台詞が口から零れた。

「な、なんでそんなにじっと見るのよ!?」
「ああ、ごめん。がかわいいなあと思って」
「は……はあ!?」
「今日の格好も似合ってるよ、
「~~っ!恥ずかしいこと言わなくていい!」
「はは、ごめんよ。でも、どうしても言いたくてね。さっきは佐疫もいたから、我慢してたんだ」

 そりゃあ、たしかに、周りに他にひとがいる状況で言われたら今よりもっともっと「言わなくていい!」って叫んでしまったかもしれないけど。ぐっと言葉に詰まる私に構わずに、木舌がにこにこ笑って、「それじゃあ行こうか」って扉に手を掛ける。そのすぐそばに近付いて、並ぼうとして、ちょっと躊躇って、「木舌は、」って声に出す。足を踏み出すのを躊躇った私に、木舌が首を動かして振り返った。

「ホワイトデー、いいの?私と過ごしてて」
「え?」
「……だから、その、他の子にもバレンタインにいっぱい貰ってたらお返ししないといけなくて大変じゃないかって……こっこれはやきもちとかじゃなくて純粋に聞いてるのよ!?義理チョコなんて私だって周りにいっぱい配っちゃったし、そのくせにやきもち云々なんて自分勝手な話でしょ!?だからそのっ…べつに木舌が他の女の子にホワイトデーのプレゼントを渡すこと自体は全然いいんだけど!いっぱい準備とかあって忙しいんじゃないかって、その……」
「ああ、心配してくれてるんだね。ありがとう、
「し、心配っていうか……」
「大丈夫だよ。とのデートより優先したい予定、おれにはないから」

 本当に当たり前みたいに、木舌が微笑んで言う。恥ずかしいことなんてひとつも口にしていないような顔で。それを見るとこっちは二人分恥ずかしくなってきて、かあっと顔が熱くなった。「そ、そう。それなら、いいけど!」ってわざとツンとした声を出すけど、隣でにこにこしてる木舌には、なんだかもう全部、見透かされているような気がしてしまう。

「それに、やきもちは妬かないかなあ。のバレンタインデーのチョコレートはおれのだけ特別だってわかってるから」
「そ、れは…、そう、だけど……」
「おれも、と同じさ」
「同じ、って……」
にあげるホワイトデーのお返しは、特別だから」

 顔を見上げていたら、少し木舌が屈んでくれる。そのまま詰められた距離に、目を閉じる暇も、心の準備をする暇も無かった。唇にやわらかい感触が降ってきて、そっと離れていった頃にようやく、我に返ったみたいに心臓が悲鳴を上げた。今、自分の身に何が起こったのか、理解するまでに時間がかかった。もう、なんで、もう、もう!

「ほら、こういうプレゼントはにしかあげられないよ」
「……あっ…たりまえでしょ…っ、ばか!!」
「ははは、ごめん、いきなりだったね。そろそろ行こうか」
「……」
?」

 指先を、おずおずと木舌の手に伸ばす。少し触れたら、すぐに言いたいことが分かったみたいに指が絡められた。ぎゅっと繋いでから、もう一度改めて、木舌の顔を見上げる。私を見つめる、優しい表情。木舌は優しい。誰にだって、きっと他の女の子にだって優しいけど、私には特別やさしい表情を見せてくれているんだっておもって、もっと繋ぐ手に力をこめた。今日は特別、この手を離したくない。