コン、と羽子板に玉が当たる音。鮮やかな色の鳥の羽が宙を泳いで、地面目掛けて落ちていく。完全に落ちる前に、先程のものとは別の羽子板が、その羽根をコン、と軽く打ち返した。両者の間で羽が泳ぐ。何度かその距離を行き来したあと、結局、羽根は一方の足元にぽとりと落ちた。審判の役割を担っていた俺はすかさず声を上げる。
「
の勝ちだな。さすがだ」
「ありがと、斬島」
今日の
は、災藤さんが「是非着てみて」と正月用に用意した着物をきっちりと着こなしている。あまり動きやすそうではなかったが、それでも打ち返すのが上手かった。負けたというのに上機嫌な木舌が、地面に落ちた羽根を拾いながら言う。
「いやあ、負けた負けた。
は上手だね」
「……酔っ払い相手に負けたくないわよ」
「ははは!それもそうか」
酔っ払いのわりには、結構長く打ち合いが続いた気がする。木舌が打ち返すときにあまり力は入っていなく、勝ち負けというよりは、
が返しやすいように軽く打っていたように見えた。新年早々、とっておきの酒をあけたらしい木舌は、酔いで少し赤らんだ顔色のまま、
の傍に近付く。それに、俺も役割を思い出した。
「
、これを。筆と墨だ」
「え……ああ、そっか。べつに罰ゲームやらなくてもいいんだけど…」
「そうもいかない。決まりだからな。勝者の特権だ」
「う~ん、なにを書かれるのか楽しみだなあ」
「なんで顔に落書きされるのを楽しみにするのよ!?」
いつも笑っている気がするが、酔っぱらって気分が良いのか、いつも以上にへらへらと笑っている木舌に、
がいつものように呆れた声を上げる。はあ、もう、と溜息を吐いて、俺から筆と墨の入った瓶を受け取ると、木舌の方へ向き直った。麒麟を見上げるように首を伸ばす
に、木舌がひょいと屈んだ。確かにそのままでは書きづらいだろう。
「これなら書きやすいかい?
」
「…本当に喜んで落書きされるみたいじゃない。ばかね、もう…」
「いやあ、だって、ほら。着物が汚れないように気を付けて。せっかくこんなに似合ってるからね」
「いっ…今言わなくてもいいわよ!さっきも聞いた!何度も言わなくていいっ」
「可愛いから。何度も言いたくもなるさ」
「もう、ばか!くち閉じて!大人しくして!」
「ははは、ごめんよ。大人しくするとも」
は顔を真っ赤にさせるのみで、なかなか筆を木舌に向けられない。相手を動揺させる木舌の一種の作戦なんだろうか。やがて観念したのか、宣言通り木舌は口を閉じて大人しく、
の次の行動を待った。ようやく筆先を木舌に向けようとするが、何かにはっとしたように、
の手が止まる。木舌は
がやりやすいようにと顔を近づけてやっていたが、その距離が「近すぎる」と
が文句を言い始めた。
「え?遠いと書けないからね。これくらいでいいんじゃないかな」
「な、だ、だからって…」
「はは、相手の顔をよく見ないと書けないだろう?」
「うっ…見るのは私だけでいいじゃない!木舌がじっと見てくるから!木舌は見ないで!」
「う~ん、難しいなあ。この距離だから。
のことしか見えないよ」
「だ、だめ!じゃあ木舌は目を瞑ってて!」
「ああ、なるほど。そうしようか。じゃあ、どうぞ」
に言われて、木舌が目を閉じる。無防備に、腹を決めてすべてを受け入れる姿勢だ。多少はやりやすくなったのか、木舌が目を瞑ったことを確認して、ようやく
が木舌へ顔を近づける。……が、目を瞑って待っている木舌の顔を覗いて、また何かに気付いたようにはっとしたかと思うと、みるみるさらに顔が赤くなった。筆を持つ手が震えている。
「や…やっぱりだめ!目を瞑るの無し!!」
「おや、そうすると…どうしたものかな。目を瞑ってするのと、目を開けたままするの、
はどっちがいいんだい?」
「え!?…、…いや、え!?どっちも恥ずかしいって言ってるでしょ!!」
「ははは!これは困ったなあ」
「おい斬島。お前何あのバカ二人を野放しにしてんだ。突っ込まない限りずっとアレだぞ。そのうち見てるこっちが恥ずかしい落書きとか木舌の顔にし始めるだろうが。止めさせろよ」
「田噛。すまない。どこで突っ込むのが一番正解だったんだ?」
「誰がバカよ!!?しないわよ!恥ずかしい真似なんかしないわよ!!全然しないったら!!はい木舌!(べしゃ)はい!おわり!」
「おっと。ははは、思い切り目に墨が入った」
田噛の横槍に動揺した
が、半ばやけくそのように木舌の顔に筆を走らせてバツを書いた。身構える暇もなくそれを喰らった木舌には災難だったと思うが、特に騒ぐこともなくいつも通り笑っていた。田噛もべつに意味もなく邪魔に入ったというわけではなくて、「もうすぐ肋角さんたちが来るから一度片付けろ」と呼びに来てくれたらしい。その後も少し
に向かってからかうような軽口を叩いていたが、肋角さんたちの酒と食事の準備のためと言ってさっさとその場を田噛が離れる。(そこまで熱心に準備に参加するような奴じゃないと思うんだが)
「…木舌、ごめん、それ顔洗えばちゃんと落ちるわよね…?」
「ん?はは、大丈夫だよ。この墨はすぐ落ちるって聞いてるから」
「そう…本当に、落とせるのね?…それならいいんだけど」
田噛の手前やけになっていたが、心配そうに
が木舌に聞いていた。二人が話しているのを見ていると、田噛はよく「黙って聞いてないで突っ込め」と文句を言うが、まあ、仲が良いことは悪いことではないだろう。
「木舌。羽子板は俺が片付けよう。一度顔と手を洗って来るといい」
「ああ、悪いね。ありがとう」
「あ……ね、ねえ、木舌」
まだ筆と墨の入った瓶を手に持っていた
が、木舌をおずおずと引き留める。俺は特に構わず皆の元へ先に行こうとしたが、ちらりと振り返れば、
が木舌の手のひらをとって、筆先でくすぐるように小さく何かを書いているようだった。その様子をきょとんと木舌は見下ろしているようだったが、やがて手のひらに書かれた文字を読み取ったのか、笑った。
はというと、書き終わるなりばっと背を向けて、足早にその場から逃げ出した。俺の横を通り過ぎていったが、顔は赤かったように見える。俺はもう一度、木舌を振り返った。自分の手のひらの中を眺めていた。その手の中にあるものを大事に愛でるように、目を細め、口元に笑みを浮かべていた。
「なんて書かれたんだ?」
尋ねると、木舌が俺の方へ顔を向けた。力は入れずに、少しだけ指を丸めて手の中身を隠すようにして、俺の質問に答える。
「内緒」
なるほど。なにも分からないけれど、妙に納得してしまった。機嫌良さそうな笑顔だった。「でも、手を洗うのがもったいなくなってしまったなあ」のんびりと、だが明らかに嬉しそうにそうつぶやく。相変わらず、本当に仲が良いんだな。「いつもどおり」だ。年が明けても。何も変わらない。だがしかし、もしかしたら、ここなんだろうか。田噛の言う、「突っ込みどころ」は。
「……洗わないと
が怒るだろう」
「ははは!
違いないね」