「いやぁ、しかしまたこの廃校に足を運ぶことになるとはね。今度はと」
「そうね。誰かさんがへまをして目玉を取られて皆に迷惑をかけた『あの廃校』ね」
「ははは、そうそう。あのときはうっかりしてしまってね」
「何がうっかりよ!情けないったらありゃしないわ!」
「ごめんよ。にも心配かけて申し訳なかったな」
「だ、だから!!心配じゃなくて!かけたのは『迷惑』よ!!なんて都合の良い脳みそしてるのよバカ!!」
「……おふたりさん、何しに来たのかしら。惚気るなら他をあたってちょうだい」
「のろけてないわよ!!なんでそうなるのよ!!」

 私と木舌のやりとりにやれやれと肩を竦める幼い見た目の少女は、外見とは裏腹にやけに大人びている。思わずカッとして怒った私の方が子供っぽく見えてしまう気がして、ぐっと身を引っ込めた。木舌がそんな私より一歩前に出て、その大人びた少女に目線を合わせるように少し屈む。現在地は廃校の女子トイレの前。目の前にいる黒髪の子供は、この廃校に棲みついた怪異だ。

「騒がしくしてしまってすまないね。ええと、花子ちゃんだったかな。あのときは挨拶ができなかったけど、斬島達から聞いているよ」
「ああ、あの亡者に目玉を取られた獄卒さんね。随分な目に遭っていたようだけど、お元気そうで何よりだわ」
「ははは、ありがとう。おかげさまでこの通り、すっかり元気さ」
「(煽られてない?なんで木舌は怒らないのかしら…まるでそういうツンとした女の子の扱いに慣れてるみたいに…)」
「(何故かしら……普通に話しているだけなのにすごく惚気られている気がする)」
「今日は見回りみたいなものだよ。この廃校は不安定な場所に建っているし、あれだけの騒ぎが一度起こっているわけだから、少し上も警戒していてね。何かその後変わったことや困ったことは無いかい?」
「お気遣いどうも。基本的には静かに過ごせているわ。ただ…」
「ただ?」
「そうね……たまに『肝試し』で廃校に入ってくる人間たちがいるの。こればかりは仕方ないけど、その人間たちにちょっかいをかける子がいるのは事実よ。そうなると毎回少し面倒で」
「ああ、ここはいたずら好きな子が多いからなあ」
「見かけたら少し懲らしめてあげてちょうだい。獄卒さんがお灸をすえてあげれば暫くは懲りるだろうから」

 そう言って、「花子」という女の子は女子トイレの中へ姿を消した。私は木舌と顔を見合わせてから、はあ、と深く溜息を吐く。木舌は苦笑するだけ。それにしたって勝手な話だ。どちらともなく歩き出し、校内の探索を続ける。

「まあ、あのときはマキさん……亡者の存在があったから、あそこまで廃校も、その中の怪異も、在り方が歪んでいたんだと思うよ。普段はみんな大人しいって聞いたからね」
「そう。よっぽど気に入られたんでしょうね。その『マキさん』は」
「…そうだね」
「写真で見たけど、美人だったものね」
「ああ、綺麗なひとだったよ」
「……ああそう!」
「…?」
「なによ!」
「ごめんよ。今のは怒らせるつもりじゃなくて…」

 べつに、私だってへんな意味で怒ったわけじゃない。ほらやっぱり亡者が美人だから油断したんじゃない情けないわバカみたい!って腹が立っただけ。ちょっと気遣うように顔を覗き込んで来ようとする木舌に、ぷいっとそっぽを向いて突っぱねる。困ったように笑う気配がしたので、もっと腹が立つ。ふたりで階段の踊り場まで来たところで、くるりと木舌を振り返った。

「見回りだけだし、どうせその怪異のいたずらも大したことないでしょ。二手に分かれて行動しましょう。私はもう一つ上の階に行くから、木舌はそこの階をお願い」

 きっぱりとした口調で、堂々とした佇まいで。女の獄卒だからって「一人で大丈夫?一緒にいくよ」なんて言われるのはまっぴらだ。私がそんな「仕事モード」の態度であることを察したのか、木舌はちょっと黙り込んでから、「そうだね、そうしようか」と素直に従った。私が仕事中に過剰に特別扱いされるのを嫌っていることを、木舌は知ってる。そのプライドを、彼なりに気遣ってくれるのが分かった。つかつかと先を歩く私に、後ろから声がかかる。

。くれぐれも気をつけて」
「木舌こそ、今回はへまをしないでよ」
「何かあったら大声で…」
「平気だってば!」

 つっぱねる声がばかみたいに可愛くなくって、自分の耳で聞いてから凄く後悔する。肩を竦めているであろう木舌が見たくなくて、やっぱり振り返ることができなかったけど、背後から聞こえる「じゃあまたあとで」という声が優しくて、自分の眉が下がるのがわかった。本当は、もっとちゃんと言葉にしたいのに、うまくいかない。かっこ悪くても恥ずかしくても、もう少し素直に、「心配しなくても大丈夫だから木舌も気を付けて」とか、「木舌がそんなつもりなくっても木舌が綺麗な女の人の話するのがちょっと嫌だった」とか、言えばよかった。言えたら、よかった。少し項垂れつつも、慌てて気合を入れるように自分の頬を叩く。今は目の前の任務に集中しよう。階段を上りきって目当ての階へ足を踏み入れた直後、ふいにまた後ろから声がした。


「…な、なによ、まだいたの?」

 下の階との間の踊り場に、木舌が立っていて、私を見上げている。さっき、遠ざかる足音を聞いたと思ったんだけど。じぃっと、何か言いたげに私を見上げるだけで、それ以上なにも言ってこない。少し不思議に思いつつも、一歩、階段を下りた。「言っておくけど、『やっぱり一緒に行こう』とか、そういうのは無しなんだからね」言葉では突っぱねつつも、そちらに近づく。さっきまで言おうと思っていた素直な台詞はちっとも口から出てきてくれないけど。

「……ねえ、木舌。どうしたの…何か、」

 なにか、様子が変だ。だから思わず近づいてしまったのもある。私が踊り場まで下りてくると、木舌がにっこり、微笑んだ。でもその笑い方が、口元の歪め方が、「木舌」じゃない。途端に薄ら寒いものを感じて、ハッと視線が階段の踊り場の大きな鏡に向かう。鏡、そう――鏡、だ。この廃校に向かう前に、下調べは念入りに済ませた。斬島たちにさんざん聞いたのだ。この場所に棲みつく怪異たちの話。厄介な、鏡の話。弾かれたように身を引こうとして、それが相手の動きより一瞬遅かった。木舌の見た目をした男の、本物そっくりに大きな手が、私に向かって伸びる。

「…ッきの、」

 咄嗟に下の階に叫ぼうとした名前を、大きな手のひらに覆われて遮られた。そのまま抱き込むように体へ腕が回されて、踊り場の大きな鏡へ引きずり込もうとする。抵抗しようにもこの体格差が恨めしい。びくともしない。ずぶりと嫌な境界を超える感触が体に走る。かろうじて伸ばした指先が、何も掴めないままむなしく宙を切って、身体がひとつ残らず「そちら」側へ潜り抜けたことを悟った。


「この…はなして!はなしてったら!!」

 鏡を一枚隔てて、連れてこられた先はどこかの教室だ。今さら大声を出されたところで助けは来ないと判断したのか、口元は解放されたものの、そのまま床に転がされて大の男に圧し掛かられるなんて、たまったもんじゃない。手首を拘束する力にぐっと抵抗しながら、目の前の男を睨む。……睨む、けど、迷うように目が泳いでしまうのが自分でもわかった。見た目はどう見たって木舌だ。大きい手も広い肩も、全部、そっくりそのまま。いや、でも、木舌じゃない、これは木舌じゃない。わかってる。

「『?』」
「…っ、もう!やめてよ!声まで!」
「『』」
「~~っ!呼ぶな!!」
「『ごめんよ。今のは怒らせるつもりじゃなくて…』」

 その声で呼ぶな。木舌じゃないのに、全然木舌じゃないのに。その声に弱い。その目に弱い。うらめしくなって今度こそきつく睨み付けると、目の前の、木舌によく似た、木舌じゃない別の何かが、微笑む。やっぱり自分のよく知る木舌のそれとは違う。だけどその顔がぐっと距離を詰めてきて、私に頬ずりするように身を寄せた。腰のあたりを知らない手のひらが撫でて、ぞわりと鳥肌が立つ。違う、違う、木舌じゃない。耳元でもう一度、「、」と名前が呼ばれる。けど、やっぱり違う、呼ばないで、呼ぶな、違うったら!その声で呼んでいいのは、本物だけなんだから!

「ばかにしないで!木舌はこんなことしない!木舌はっ! …っ、手も声も、もっと…、優しいんだ、からぁ…っ!」

 その瞬間、凄い音がした。ごうっと風を切るような音をすごく近くで聞いた気がしたかと思えば、直前まで自分に馬乗りになっていたその存在が、目の前から消え失せていた。首を捻って探せば、誰かに思い切り蹴り飛ばされたらしく、吹っ飛んだ先でその大きな体をくの字に曲げている。呆然とそれを眺めていたら、「」と名前が呼ばれた。その偽物を吹っ飛ばした張本人が、私のすぐそばに立っていた。

「き、のした……」

 驚きやらなにやらで頭が混乱して声が震える私を、木舌が口を小さく開けて何か言いたげに、でもなにも言わずに、見つめる。あまり見ない表情だった。何かしらの衝撃を受けている顔というか、いつも保っていた何かがぶつりと切れて動きが固まったような。でもそんなふうに思ったのは一瞬だ。すぐに木舌がいつもみたいに微笑んで、その場に膝をつき、私が体を起こしやすいようにと手を差し伸べる。わらってる。さっきの見慣れない表情は、自分の幻だったのではとさえ思う。

「ごめんよ、。怖い思いをさせて」
「…木舌が謝ることじゃ……」

 その手を取って体を起こしかけた直後、視界の端で、何かが動いた。すっかり伸びていたと思った「偽物」が、こちらへまた向かってくるのがわかった。木舌は私を気遣うのに夢中でそっちに気付かない。咄嗟に木舌を庇おうとしたのを、ぐいっと引っ張られて邪魔される。引っ張ったのは木舌だ。えっ、と思ったのも束の間、気付いたら襲ってきた「偽物」は木舌に容易く手首を掴まれていた。

「悪いね。今日はちゃんと目玉があるから、見えてるんだ」

 その腕を捻り上げながら、そんなふうに言う。木舌の大きな手のひらに、ぐぐっと力をこめられているのが傍から見ても分かる。見えてる、っていったって、うそ、全然そちらを見てなかったのに。

、少し目を瞑っていてくれるかい?」
「……え、」
は優しいから、偽物のおれでも、『おれ』を傷つけるのを躊躇ってくれたね。だから、あんまり見ないほうがいい」

 その言葉の意味を、一瞬の間があいた後、理解した。慌てて、ぎゅっと目をきつく瞑る。悲鳴は無い。その代わりみたいに聞こえたのは、ボキボキと嫌な音。本当は想像したくないけど、木舌と同じ顔をしたそれの体が、ひどいことになる光景が瞼の裏に浮かぶ。その後に、ぱりんと何かが割れる、これも嫌な音。恐る恐る目を開けて、視線を動かせば、木舌のすぐそばに、割れた鏡が散らばっていた。ああ、やっぱり、斬島たちから聞いた通りだ。正体は、姿を盗みなり替わろうとする鏡。でもこれでひとまずこの場は安心…、と思ったら、木舌がおもむろにその割れた鏡の上で足を少し浮かせて――遠慮なんて無しにその残骸を踏み潰した。

「…き、木舌?」
「うん?」
「そんなに…念入りに粉々にしなくても…もういいんじゃ……」
「うーん……けど少し、いたずらが過ぎるようだから。これを割ったところで鏡の外に出られないなら、確か、他に本体がどこかに隠れているんだったね。困ったな。斬島が一度壊してくれたっていうのに、少し力を蓄えたらすぐこれとは」

 のんきに話しているようで、靴の下では鏡を磨り潰し続けている。私は、ちょっと身を引いた。言葉が出てこない。たいていのことは笑って済ませる木舌が、全然、「済ませて」ない。これは、たぶん、見たことがないくらい、怒っている。口元をひくりとさせてそれ以上何も言えないでいる私に、ふと木舌が視線をよこす。少し身構えたけど、木舌がようやく鏡から靴を離し、私のほうへまた手を差し伸べてくれたので、ちょっとずつ頭が追い付いてきた。

「怪我は無いかい?」
「……あってもすぐ治るわよ」
「治っても、おれは嫌だなあ。に傷がつくのは見たくないから」
「なんでよ…」
だって、おれと同じ顔の鏡の怪異を傷つけるのを躊躇ってくれたからね。同じ理由かな」

 木舌に手を引かれて、へたりこんでいた体を立ち上がらせる。すぐにはその手を離せずに、きゅ、と握ったまま。木舌もそれにおや、という顔をして、優しく、確かめるように私の名前を呼んだ。「?」って。やっぱり、優しい声だ。優しい手だ。

「……ごめんなさい。木舌に迷惑かけたわ。さんざん偉そうに言って、一人で突っ走って…襲われて、抵抗できなくて、迷惑かけっぱなし…」
「…迷惑じゃなくて、かけたのは『心配』だよ。

 木舌の言葉に、顔を上げる。微笑んで私を見る目が、偽物とは全然違う。いつもこんなに優しいんだなって実感した。ちょっと泣きそうになるくらい。もう一度、「ごめん」って小さく謝る。迷惑でも、心配でも、こんなに優しい人を困らせてしまうことが申し訳なかった。さっき「鏡」を素手で壊したせいか、木舌の手に少し血が滲んでいる。本人がちっとも痛がらないし、自分がその手を取って握ったとき余裕が無さすぎて、気付いてなかった。これにも、「ごめん」と口にする。木舌が、笑った。「『ごめん』じゃなくていいよ。いつもみたいに『ばか』が聞きたいなあ」って。そんなこと言われたら、もう、返す言葉はひとつしか出てこない。

「ばかじゃないの…!ひとがせっかく本気で謝ってるのに!ばか!!」
「ははは、ごめんよ、茶化して。可愛くてつい」
「もう……早く出口を見つけないと」
「そうだね。まあ、片っ端から全部鏡を見つけ次第割っていこう。念入りに粉々にして」
「……き、木舌…怒ってる…?」
「ああ、怒ってないさ。に悪さをした子への、ただの『お仕置き』だよ