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「おーい、。本棚の一番上、届かないのかい?おれが取るよ。無理に取って落ちてきたら危ないからね」 「! いい!放っておいて!」 「はは、そんな遠慮しないで。頼っ」 「駄目よ!木舌は指一本触らないで。あなたの力なんて借りたくないもの!あっねえ斬島!斬島ったら!これ取って頂戴!」 ぷるぷる背伸びをしながら本棚の一番上に向かって手を伸ばしているを見兼ねて声を掛けたら、断られてしまった。そのわりに、偶然廊下を通った斬島を視界の端に入れた途端、彼を呼びつける。突然の指名に斬島は少しきょとんとしつつ、の言う事に従って、「これでいいのか?」と尋ねながら、本をに渡した。おれはそんなやり取りを、ちょっと驚きながらも黙って見守る。は礼を言うと、ちらりとおれの顔を見た後、そそくさと走って逃げていった。斬島がそれを首を傾げて見送って、それからおれを振り返って、じっと黙って見つめてきた。特に意味もなく、ははは、と笑っておいた。 「首を傾げてどうしたんだい、。今度の任務の場所の地図、複雑だから分からない?」 「! なんでもないわ、放っておいて!」 「おれ、この前の任務でその場所の近くに行ったけど、こっちの道の…」 「ねえ田噛!田噛、この前ここの近くに行ったでしょう!?訊きたい事があるの!」 「あ?」 は任務の前の事細かな下調べに余念が無い。少しでも不安な要素が有るとそのままにはしておきたくない性格だ。資料を見て首を傾げていた彼女に近付いたら、また分かりやすく拒絶されてしまった。近くにいた田噛に声が掛かるも、彼はあんまり協力的では無い様子。のすぐ横にいるおれを見て、「木舌に訊けばいいだろ」と投げた。もっともだ。っていうか、真っ先に「この前行ったでしょ」って田噛に声を掛けるって事は、この前の任務、おれと一緒に行ったのが田噛だって覚えていたんだな。他人の任務まで覚えてるなんて記憶力がいいなあ。 「木舌は関係ない!私は田噛に訊きたいの、田噛に教えてほしいの。お願い、田噛」 のんびり笑って見守っていたおれも、さっさと話を打ち切ろうとしていた田噛も、数秒、固まった。耳を疑う。なんだろう、今の声。意地っ張りで他人に甘えるのが苦手な普段のからは想像つかないような猫なで声だ。おねがい、なんて言った。田噛が微妙に青い顔で、を見た。田噛にしては珍しい表情だ。 「わかった、教える。教えるからその気持ち悪ィ声やめろ」 田噛がそう言うので、今にもいつものように「ひとが恥を忍んで訊いているのに!」なんて叫ぶだろうって思ったのに、羞恥か怒りで顔を真っ赤にしつつも、叫びだすことはなかった。ものすごく必死に堪えてる顔してたけど。ぐっと飲み込んで、無理に引き攣った笑顔を作って、田噛の元へ駆け寄っていく。途中、ちらりとおれを見たけど、それはほんの一瞬だった。 「ねえ、瓶の蓋が開かないの。誰か―…ねえ、谷裂!」 が部屋をぐるりと見渡して、おれと目が合ってすぐに逸らして、谷裂の方へ駆け寄って行く。 「…なんだ、それを開ければいいのか」 「ええ、そうよ。お願い」 「貸してみろ」 「はい」 「……簡単に開いたぞ。フン、これしきの事で騒ぐなど情けない」 「…ありがとう谷裂!さすが谷裂ね、頼りになる!」 谷裂に鼻で笑われるといつも言い返していたが、また一生懸命堪えて引き攣った笑顔でお礼を言っている。言われた方の谷裂も一瞬面食らって、訝しむ様に眉を寄せた。それくらい、いつものからは想像つかない態度だし、大袈裟すぎる。わざとらしすぎる。周囲の視線がに集まるも、本人はそそくさと開いた瓶を持って部屋を出て行った。そうすると、視線は一斉におれの方へ向いた。みんな無言で何かを訴えてくる。どうせおまえのせいなんだろ、みたいな視線に感じるんだけど、勘違いだといいな。さすがに、とばっちりすぎる。ふうむ、と顎に手をあてて、みんなの考えを代表するように、おれは真剣な声で切り出した。 「…最近、の様子がおかしいんだ」 「ああ、知っている」 「そりゃ知ってるだろ」 「なんなんだアレは」 「オレもそー思ったんだよなー!」 「木舌、また何か怒らせたの?」 あ、ひどいな佐疫。の機嫌が悪いと、なんでもおれが原因みたいじゃないか。笑ってそう言おうと思ったのに佐疫の言葉にみんなが頷いて「どうでもいいが早くどうにかしろ」「適当に謝っとけよ」なんて言い出すから、余計笑うしかなくなった。 「みんなして酷いなあ。おれは何もしてないと思うけど…」 「お前が何もしてなくても、恐らくお前のせいだと思うぞ」 「おれは何もしてないのに?」 「ああ」 表情一つ変えずに斬島にそう言い切られて、おれはやれやれと肩を竦める。誰がどう見ても最近のの様子はちょっとおかしい。いや、おかしいというか…なんだろう、これって避けられてるっていうのかな。避けられているのはどうやらおれだけみたいだから、まあ、確かに、おれが原因だとしか考えようがない。元からちょっと気難しいというか、怒りっぽいというか、おれに当たりが強いところはあったけど。今回は無視したり、おれの前でわざと他のみんなを頼ったりしているし…そこまでおれを避けるっていうことは、余っ程怒っているのかもしれない。心当たりは本当に無いんだけど、自分の気付かないところで、彼女の地雷を踏んづけているのかもしれない。おれが何もしていなくて、ただへらへら笑っているだけでも、腹を立てそうな彼女のことだ。 「まあ、そうだね。多分おれのせいだ」 「心当たりあんの?」 「いや?おれ以外にをあんなに怒らせることが出来る誰かがいたら、おれが困るなあって話だよ」 おれの返事を聞いて首を捻る平腹の横で、田噛が面倒そうな顔をして舌打ちをした。 「惚気けるのは余所でやれよ」 ごもっともだね、とおれは軽く笑って、部屋を出て行ったを探しに行くことにした。 「しつこい!追いかけて来ないでって言ってるでしょ!!」 「まあまあ、そんなカッカしないで。少しおれと話そうよ、」 廊下は走っちゃいけないというだいたいいつも平腹以外は守っていそうな常識に従って、あくまで走らずに早歩きでおれから距離を取るを、おれも一応真似るように、走らずに追いかける。彼女と歩幅が違うというのはこういうときに便利だ。後ろから追いかけてくるおれの声にはまったく振り返らない。おれと顔を見て喋ったら負けの遊びでもしてるんだろうか。彼女は「しつこい!」「放っておいて!」「ついてこないで!」と文句を叫びながらどんどん歩くスピードを上げるけれど、その様子から伝わってくるのは意外にも、怒りよりも焦りだった。考えてみれば、おれに心底怒っているのなら、彼女はこんなふうに避けるより直接文句を言ってくるはずだ。その性格上、まず何より口で勝ちたいタイプなんだ、この子は。彼女は怒っておれを避けているのではなく、何か目的があっておれと顔を合わせないでいる。おれに問い詰められるとまずい何かを隠している。そこまで推理が行き着くと、俄然この追いかけっこにやる気が出てきた。 「何かおれに話したいことがあるんじゃない?」 「無い!無いわよ、そんなもの!」 「そうは見えないなあ。、おれ何を言われても怒らないから話し―…」 「怒らない!?怒らないですって!?」 頑なに振り返らなかったが、おれの言葉のどこかが引っ掛かったらしく、勢い良くおれの方を見た。けれど目があった途端、はっとしてすぐに前へ向き直る。そしていよいよなりふりかまっていられなくなったのか、駆け出した。これをおれも追いかける。けれどすぐに、「!足元に何か」と声を投げた。「え!?」と大げさにびっくりして、は飛び上がる。ほとんど反射的に、だろう。足元に何かいるのか、何か落ちてるのか、と慌てて視線を落とした。当然、走りもそこで止まる。おれに腕を掴まれて、ようやく気づいたのか、はあっという間に顔を真っ赤にさせて、おれを睨みつけた。確かにちょっと意地悪だったかもしれないけど。 「騙したのね!?」 「はは、ごめんごめん。けど、お陰でやっとつかまえられた」 「放して!はなしてったら!」 「うーん、それは難しいなあ。せめておれのことを避ける理由だけでも教えてもらわないと」 「そ…れは…」 「もしおれが何かしたなら謝るよ。でも怒ってるのとは違うみたいだし…」 「……」 「?」 おれに片手を引き止められたまま、の視線は外へ外へと逃げるように、見当違いの方向へ向けられる。僅かに口を尖らせて、罰が悪そうに、おれから顔を背ける。叱られて拗ねる子供みたいだ。そういうところもおれにとってはかわいいんだけど。 「…おれ、怒らないよ?」 「………怒らないからよ」 「え?」 「怒らないから!木舌がいっつも怒らないから怒らせてみようって思っただけ!!」 やけになって大きめの声でそう言い切ったにきょとんとする。予想外すぎて、なんて言ったらいいのか分からない。おれがぽかんとしているすきに不意をつきたいのか、おれの手を振り払おうとが躍起になっているけど、おれはぽかんとしながらもその手を放さないので、結局ぶんぶんと掴まれた腕を縦に振りながら、もういっそ開き直ったように彼女は言葉を続ける。 「私はい…っつも木舌のせいで腹を立ててばっかりなのに!あなたはいっつもいっつもへらへらと笑ってばっかりで!ちっとも調子を狂わされないのが気に入らなかったの!わざと木舌の前で他の人と仲良く話して、自分だけ除け者にされて、不愉快だ、って怒るだろうって思ったの!なのに木舌ったらいつも通りへらへらして!何されても自分は怒らないよ、なんて優しく言って!そういうところがまた、もう、なんなのっ!?ええそうよそんなくだらない理由です!ほら話したじゃない!いい加減手をっ!はなして!」 もちろん離すわけがない。おれはの言葉を聞いてる間ますますぽかんとして、彼女が話し終えた後も黙りこくって、ふむ、と口元に手を添えて考えた。もう片方の手ではしっかりを掴んでいる。びくともしないのに、は諦め悪くずっとじたばたしていたけど。 なるほど。おれを怒らせたかったから、みんなと仲良くして、おれのことは避けて。なるほど、そうか。 「そういうやり方でおれに怒ってほしかった、っていうことは…」 「な、なによ」 「やきもちをやいてほしかったっていうことじゃないかなぁ」 「は!?なっ、なんでそうなるのよ!違うわ!本当におめでたい頭なんだから!私はっ」 「じゃあ、やきもちをやいていいってことか」 「はあ!?」 「おれに怒ってほしいんだよね?」 「えっ…」 「そんなにおれに怒ってほしいなら、怒るよ」 「え、」 それまで掴んでいたの手の、もう片方の手首も掴んで、そのまま廊下の壁際に追い詰める。首を捻って、自分の背中が壁とくっついているのと、自分の両手首がおれに拘束されているのを確認したは、あっという間にさっきまでの元気がなくなった。顔色が変わる。少し手首を掴む手に力を加えて、おれはもっともっと距離を詰めた。逃げ場がないことを悟ったが、ずいぶん近い距離にあるおれの顔を、こわごわと見上げる。ああ、おびえてかわいそうに。でも、すぐにはやめてあげられない。 「…嫉妬、したよ?」 「う、うそ!ぜんぜん気にしてなかったじゃない…!」 「そんなことないさ。ここ最近ずっとがおれ以外の男と喋って、おれの相手してくれないから」 「ふざけただけよ、木舌、怒らないから…怒ったらどうなるのかなって、少し、からかっただけで…」 「うん。怒ったら、どうなると思う?」 「…うぅ…」 たぶん、予想外の展開だったんだろう。は泣きそうになりながら、きゅっと目を閉じて顔をそらす。うん、それがいい。おれ、今ちょっと口元が緩んじゃったかもしれないから。背中を丸めて、ずいぶん小さく縮こまって感じる彼女の体にもっと身を寄せた。耳元でちいさく、囁く。 「怒ったおれ、に何すると思う?」 びくっ、との肩が跳ねる。これはおれの言葉が怖かったんじゃなくて、耳がくすぐったくて、だと思うけど。息をのんで、遠慮がちに瞼をあげて、でもおれと視線は合わせずに、が声を絞り出す。「……ゆるして…」ああ、だめだ、かわいいなあ。 「うん。怒ってないよ、」 「……」 「……」 「…、…え?」 「はは、ごめんよ。そんなに怖がるとは思わなくて」 「…え?」 「頑張っておれを怒らせようとしてくれたなら、怒ってみせないと申し訳ないなと思ってね」 ぱっと掴んでいた手を離して、よしよしとの頭を撫でる。呆然としているは、肩を落としながら、なんの抵抗もなくそれを受け入れていた。「怖がらせてごめんよ」と、少し滲んでいた目尻の涙を指で優しく拭ってやる。怒ってないよ。怒らないさ。無理してみんなににこにこして真っ赤になる様子も、おれを頑なに避けようとプイッとする様子も、かわいかったからね。考えてみたら、全然おれ、怒ってなかったな。ムッ、ともしなかったな。やきもち、やいてないな。だっておれ、きみの全部の表情と、きみがおれにくれる全部の感情が、いとおしくて仕方がない。 「…っ!怖がってなんかないわよ!!泣いてもいないったら!!ばかばか!木舌のばーか!」 はっと我に返ったが、おれの体をぐっと押しのけて、またいつものように強がって歩き出す。どすどす、わざと音を立てるように歩いて、不機嫌なのを微塵も隠さない。おれは笑って、「はいはい」となだめながら後ろを歩き出した。途中、廊下で抹本に出くわした。不機嫌なを見てちょっと身を引きながら、後ろをへらりと笑って歩くおれに気づいてこう言う。「い、いつもどおりだね…」うん。いつもどおり。 |